■慶長5年9月15日、6時間の短期決戦

豊臣秀吉の死後、各武将たちの思惑が複雑に交錯し、ついに勢力を二分する「天下分け目の戦い」が勃発するわけだが、合戦の場となる関ヶ原に東西両軍が布陣を終えたのは、慶長5年9月15日のこと。開戦からわずか6時間ほどで決着がついたと言われている。

徳川家康率いる「東軍」と、石田三成率いる「西軍」合わせて総勢15万人以上が参戦したと言われているこの合戦。しかし、石田三成を良く思っていなかった西軍の武将たちの寝返りもあり、その終幕はあっけないものであったようだ。

現在、関ケ原の戦いの際に家康最後の陣地が置かれたとされる場所には「岐阜関ケ原古戦場記念館」が建てられている。常時展示やイベントを行っているほか、史跡を巡るツアーなども開催しているので、実際に訪れてみると新たな発見があるかもしれない。