我田引水かもですが、先崎さんが復権の必要を説く「批評」ということばと対になるのも、個人的には「専門」な気がするんですよね(苦笑)。批評的に接するとは、対象に没入して一体化するのではなく、醒めた自意識を保ち、相手との間に感じる違和を大事にし続ける、ってことでしょ。
ところがこの間、メディアで蔓延したのは「私は○○の専門家。つまり○○と私は一体。だから○○については私の主張だけを報じる・信じるべき!」みたいな識者の振る舞いで、かつぶっちゃけホントは一体じゃないからまちがってたわけですよ(失笑)。逆に言えば、批評がわからないセンモンカは、別にイラナイって話でもありますな。
代官山蔦屋書店さんには、6月に精神科医・詩人の尾久守侑さんとの対談でもお世話になりました。素敵な空間に1年に2度も呼んでいただけるのは、ありがたいかぎりです。
⑤ そして、ちょっとおまけ。発売中の『週刊現代』9/14・21号の力の入った特集企画「中国残酷物語」に、歴史の観点からのコメントを寄せました。チラ見せしますと、
「中国は歴史的に見ても常に人口過剰で、誰かが職にあぶれるのは当たり前。そうした人は巨大な親族集団で面倒をみる、という社会でした。」
116頁
から始まって、でも現在は……というお話。もともと2009年から提唱している観点に対して、今なお取材があるのだから、ありがたいことです。