にも拘らず、シナロアの勢力は依然衰えることなく違法活動を続けている。シナロアはメキシコに5万人のメンバーがいると推測されている。年商は31億ユーロ(3800億円)。メキシコ国内だと32の自治州の内の17の州で密売取引をしている。ウイーンのComplexity Science Hubの調査によると、シナロアはメキシコだけで17万5000人を雇用している、としているという。(8月13日付「ABC」から引用)。

シナロアの歴史

シナロアの歴史は1960年代に遡る。ペドロ・アビレス氏がヘロインとオピオイドを密売し始めたのが最初だ。ところが麻薬の取り締まり強化で、彼は1978年にメキシコの軍隊と交戦してシナロア州で死亡した。彼の跡を継いだのがエルネスト・フォンセカとラファエル・ファロ・キンテロの二人だ。前者がファイナンスを担当し、後者が密売を促進して行った。

80年代になると、この二人はコカインとヘロインのビジネスを拡張して行った。あの時代に米国へ抜けるトンネルや米国での販促のために秘密裡に小型飛行機の滑走路を建設。またラテンアメリカとの関係を強めて麻薬の生産そして供給業者のネットを築き、またヨーロッパへの市場を切り開いていった。

この時代にシナロアはスペインではカナリア諸島やガリシア地方(ポルトガルの真上の地方)を拠点に麻薬の販売網を築いていった。

シナロアを最大の麻薬組織にさせたのがチャポ・グスマンで、それは80年代の後半である。ラファエル・ファロ・キンテロが米国の麻薬取締局DEAのエージェントを殺害したのを契機に、米国はメキシコ政府に圧力を掛けて彼を逮捕する為にメキシコ軍は動かした。その結果、キンテロが収監されたことによって、彼の後継者となったチャポは麻薬の国際密売ルートの開発に積極的に動いた。その時から相棒として活動したのがマーヨ・サンバダであった。

シナロアは賄賂を巧みに使って警察、政治家、高級官僚らを彼らの味方にした。特に、シナロアが急成長したのは、カルデロン元大統領の庇護下のことだ。彼のメキシコ政府はシナロアから提供される情報を基にライバルの麻薬組織への取り締まりを厳しくした。そのお陰で、シナロアは独占的に密売網を拡大して行ったのであった。

シナロアの強力なライバル