たとえば、国連決議で英語とフランス語の解釈がことなると、フランス語では単一、英語では二通りの解釈が可能なことが多いが、逆はまずない。だから、実質的にフランス語優先になる。

IOCの場合は、このような場合は、最初からフランス語優先と決まっている。

また、フランス語は単語でも表現が多様である。ソムリエの田崎真也さんが言っていたが、ワインの風味は英語では単語数が少なく細かいニュアンスを表現しきれないという。

また、フランス語でも英語でも、同じ意味を同じ単語で繰り返すのは品が悪いとされるがフランス語では極端だ。

たとえば、大阪を表現するのに、浪速、日本第二の都市、仁徳天皇の都、豊臣秀吉の城下町、東洋のベニス、東洋のマンチェスター、八百八橋の町、天下の台所、食い倒れの町、西日本の中心、吉本の本拠、維新が支配する町などなど同じ単語を繰り替えさないようにいえるほど教養が感じられるのであるがけっこうめんどくさいし、理解するのに教養も要る。

言語は、このように、正確さと使いやすさは裏腹になる。フランス語は単語の量でもおおくなり、同じ内容のフランス語版は英語版の50%くらいページ数が多い。フランス語が英語にその地位を取って代わられたのは、この厳密性から来る難しさがゆえであるのは残念だ。

また、これは日本語の将来を考える上でも大事なことで、優しい言葉にすること、多様な表現が可能なことのバランスを常に心がけていくべきだということだ。

メルマガ「八幡和郎のFacebookでは書けない話」では、五輪で使われた日本語・フランス語・英語の表記の一覧表が提供されている。

「365日でわかる世界史」