避難所は基本的に101年前の関東大震災の時のまま、シェルターや国民保護体制が十分に整備されていないのも79年前の東京大空襲の時のまま。これは一にかかって政治の責任です。

私の考える防災省は、強力な指揮命令権限を持つ巨大な官庁ではありません。地方創生大臣在任中、アメリカの連邦危機管理庁(FEMA)長官を訪ねたとき、「FEMAの主たる役割は、全米のどこで災害が起こっても同じ対応が出来る体制を構築することであり、首長や議員などに対する教育が大事なのだ」と述べられていました。国民保護を主眼とする防災専門の官庁の設立に向けたプロセスは、来週火曜日の政策発表会見でお示しできると思います。

もし、「今の防災の体制はうまくいっている」と認識している人があるとすれば、それも早急に改める必要があります。

現在、内閣府防災担当の人員は100人程度、予算は74億円。職員がどんなに懸命に働いても、災害発生後の事態対処はパンク寸前で、事前防災の取り組みも度重なる災害発生で中断してしまうのが現状です。人員も国交省や厚労省などの各省庁からの出向者が多く、2年経ったら元の役所に帰っていきますので、せっかくの知識や経験の蓄積も出来ません。

既に関西広域連合や全国知事会は防災省創設の提言を行っており、全市町村長の約6割がこの必要性を認めています(反対は約2%)。災害対応は基本的に基礎自治体の任務となっているのですから、市町村長たちのこの声は現場の悲痛な声と捉えるべきではないのでしょうか。仮にも霞が関流の理屈でこれを無視するようなことがあってはならないのです。

私の考えが足りないところは、今回の総裁選においてむしろ補強していただき、防災省(仮称)創設についての議論が深まり、実現に近づくことを心より期待しています。

出版元から著者謹呈の形で送って頂いた「火を吹く朝鮮半島」(橋爪大三郎著・SB新書・近日刊行)からは貴重な示唆を受けました。橋爪先生は小室直樹博士の直弟子であり、折に触れご教導頂いてきました。まさしく碩学であった小室直樹、色摩力夫、佐瀬昌盛、吉原恒雄各氏の安全保障に関する著作なくして、今日の私はありません。