■村のタブーを犯して殺害される

 外国人がしでかしたことについて、村人たちがすぐに反応することはなかったが、ベイカー一行が感謝の意を告げて村を出ると、何人かの村人が先回りをして待ち伏せをしていた。

 そして一行は、待ち伏せしていた村人たちに斧で切りつけられ、ベイカーと4人のメンバーが殺害され、残る3人が命からがら逃げ延びた。殺されたベイカーたちの遺体は村の広場の大きな平らな岩の上でバラバラに切り刻まれ、焼かれて調理され、食べられてしまったのである。

 逃げ延びたメンバーから事件の詳細が語られると、ニュースはイギリスにもすぐに届けられて人々の嘆きと怒りの感情を巻き起こしたが、報復措置がとられることはなかった。

 ナブタタウの酋長は最終的に捕らえられ投獄されることになったが、手を下した村人たちに責任はないとして捕らえらることはなかった。しかし、話はここで終わらない。

 なんと、ベイカー一行の殺害は村に呪いをもたらしたと考えられており、事件後には不作が続き、自然災害が村を襲い、多くの村人がこの地を離れていったというのだ。

 さらに、村人たちは1905年にベイカーの死を弔う祈念碑を建て、2003年にはベイカーを殺した村人の子孫が「マタニガサウ」と呼ばれる伝統的な和解の儀式を行って、祖先がかつて行ったことを公式に謝罪した。

 現在、現地ではベイカーとその部下を切り刻むために使用された道具、彼らを調理するために使用されたオーブン、彼らを攻撃した斧や、ベイカーのサンダルの1つが展示されており、ベイカーが持参していた聖書とクシは、スバのフィジー博物館で展示されている。

 一部の歴史家によれば、ベイカーが殺された理由となったクシの話の一件は、酋長によって後から捏造された可能性もあることを指摘している。殺害された時点でフィジーに8年間滞在していたベイカーは、現地の村の風習やタブーを知っていたはずであるというのだ。そして、おそらく宣教師であるという理由だけで、いつ襲われても不思議ではない状況に置かれていたということである。つまり起こるべくして起きた事件であったというのだ。

 理由には判然としないところもあるが、ベイカーがフィジーで人食い部族に殺され、食べられた最初で最後のヨーロッパ人であることは事実だ。

 現代においても“人食い部族”が現存していることは過去のトカナの記事でも紹介した。神の御加護を盲目的に信じ、危険過ぎる遠征を決行して犠牲になったベイカーの悲劇をよもや繰り返してはならない。

提供元・TOCANA

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