300以上の島からなる南太平洋の島国、フィジーにはかつて恐ろしい食人の風習があった。イギリスからやって来たキリスト教宣教師もまたこの地で殺され、食べられていたのである。
■“人食い部族”の島へ旅立った宣教師一行
1832年2月6日に英サセックス州プレイデンで生まれたトマス・ベイカーは、メソジストの宣教師であり、1859年にフィジーに到着すると「内陸部への宣教師」に任命された。
当時、フィジー諸島の多くは土着の部族が暮らす未知の土地と見なされ、探検家から「人食い部族」の存在も報告されていたことから、ベイカーの任務は極めて危険であると考えられていた。
諸島内での部族間抗争も激しく、各部族は部外者を常に警戒しており、ましてや外国からやって来る宣教師にはどこへ行っても疑惑と敵意の目が向けられていた。そして当時、バウ島の武将カコバウがキリスト教に改宗し、自分がフィジーの王であると宣言したため、他の部族の敵意はさらに高まっていたのだ。
ベイカー牧師が1867年7月に島の内部への遠征を計画した時、多くは危険過ぎると反対した。しかし神の思し召しを感じていた牧師は、周囲の反対を押し切ってフィジー人の信者7人を引き連れて出発した。この時、神に守られていることを確信していたベイカーは一切の武器を持たずに丸腰で旅立ったのだった。
実はその翌年にベイカーはイギリスに戻って久しぶりに家族と共に1年間ゆっくり暮らすことになっており、その前に何らかの成果をあげたいと考えていたともいわれている。
ベイカーの楽観的展望とは裏腹に、旅は序盤から困難に見舞われた。
一行が通り過ぎる村々では歓迎されず、最悪の場合はあからさまに追い払われた。そして、人食い部族に常に狙われていたのである。
ある日、雨に打たれたベイカーは立ち寄ったヴニブアと呼ばれる村で着替えのために服を脱ぐと、村人たちの鋭い視線を感じたという。それは”獲物”を見る眼差しそのものだったのだ。そしてこの時点で、大半の部族長から「宣教師の一行を見かけたら殺害せよ」との命令が発令されていたのである。
やがてナブタタウという村に到着したベイカー一行は、幸いにも歓迎され、一晩泊っていくことを勧められて有難く一夜を明かすことにした。しかし、その滞在中に思わぬハプニングが起こった。
朝、眠りから覚めたベイカーは身仕舞いのために顔を洗い、クシで頭髪を整えたのだが、使い終えたクシをすぐにしまわず一旦マットの上に置いた。すると、たまたま通りかかった酋長が放置されていたクシを手に取ると、自分の頭髪に刺して留めた。この村では私有財産という概念がなく、特に酋長などの上流階級の者は、見かけて気に入ったモノはすべて自分の身に着けることができたのだ。
クシがなくなったことに気づいたベイカーは、それが酋長の髪にあることに気づき、「このクシは私のです」と悪びれることなく酋長の頭から抜き取ったが、ベイカーの行動に村人は驚愕。
酋長は神聖な存在であり、特にその頭は絶対に触れてはならないならない不可侵領域であったのだ。