宗教的信仰と地球外生命体との交わりは、神学者だけでなく、未解明のものに対する熱狂的なファンをも長い間惹きつけてきた。この好奇心は、しばしば次のような疑問につながる。「聖書には、私たちが現在UFOや地球外生命体と呼んでいるものへの言及が含まれているのか?」。

 ティム・バーチェット米下院議員と神学者ポール・シグペン博士が参加した最近の討論会では、まさにこの話題が掘り下げられ、聖書の記述の中には、人間以外の知性、おそらく地球外生命体との遭遇として解釈される可能性を探っている。

異常現象に関する聖書の記述

 聖書には、現代の読者にはUFO目撃談を連想させるような出来事が書かれている箇所がいくつかある。例えばエゼキエル書には、預言者が「北からやってくるつむじ風、猛火に包まれた大きな雲」(エゼキエル書1:4)を見たときの幻が描かれている。この雲の中には異様な姿をした生き物がおり、これは古代のUFO遭遇の描写ではないかと推測する人もいる。

 同様に、エリヤが「火の戦車」とともに「つむじ風」に乗って天に上げられたという記述(列王記下2:11)も、地球外テクノロジーの可能性が指摘されている。車輪の中の車輪、空飛ぶ戦車、明るい光など、これらの箇所で使われているイメージは、現代における未確認飛行物体に関する記述と酷似している。

 敬虔なクリスチャンであるバーチェット下院議員は、地球外生命体の可能性と自分の信仰を調和させることに、何の問題もないと表明している。彼によれば、神の創造の広大さは、地球外の生命体を容易に含むことができ、そのような存在が、聖書の中で当時の言語や理解を通じて言及された可能性もあるというのだ。例えば、エゼキエルのビジョンがUFOを描写しているかもしれないという考えは、彼の信仰を弱めるのではなく、むしろ宇宙の複雑さを理解する手助けになると述べている。

 一方、ポール・ティグペン博士は、このテーマに対してより慎重な立場を取っている。彼は、聖書には天使や悪魔といった人間以外の知的生命体が記述されていることを認めているものの、これらの存在を現代のUFO伝承で理解される地球外生命体と同一視することには慎重だ。ティグペン博士は、天使や他の超自然的な存在に関する聖書の記述は、宗教的な意義の中で解釈されるべきものであり、異星人との遭遇を証拠として解釈するべきではないと強調している。

聖書にUFOは登場するのか!?“天使”と“地球外生命体”のつながりを探る
(画像=イメージ画像 Created with DALL·E,『TOCANA』より 引用)