ヨハネスブルグという名前を聞くと、治安の悪い危険な町という印象を持つ人も多くいるかもしれませんが、公共交通機関(バスターミナル、駅等)や徒歩での移動を避け、ツアーに参加する、もしくは車での移動をすれば、観光が可能です。

今回紹介するタウンシップは観光地化されており、信頼できる案内人の同伴があれば安全に観光ができます。

ヨハネスブルグでも有名なアパルトへイトの歴史、それと闘ったネルソン・マンデラにゆかりのある観光地をご紹介します。

目次
南アフリカ、ヨハネスブルグを安全に観光するために
アパルトへイトを肌で感じてみよう

南アフリカ、ヨハネスブルグを安全に観光するために

アフリカの最南端にある国、南アフリカ。観光地としては第二の都市ケープタウンの方が有名ですが、南アフリカ最大の都市であるヨハネスブルグも、サファリの定番であるクルーガー国立公園やショッピングセンター、そして歴史が詰まった町として見所にあふれています。

日本からのアクセスとしては、直行便がないため、カタール航空やエミレーツ航空といった中東系キャリアか、シンガポール航空やキャセイパシフィック航空等アジア系キャリアを使い、経由を挟み約19時間で到着します。

日本国旅券があれば、観光目的で90日以内の滞在の場合、ビザは必要ありません。通貨は南アフリカランド(1ランド=8円、2024年8月15日現在)。

日本円からの両替も可能ですが、アメリカドルからの両替の方が受け付けてもらえる箇所が多いでしょう。また、強制ではありませんが、レストランやホテル、駐車場やトイレでもチップを渡す習慣があります。

南アフリカには12の公用語がありますが、ヨハネスブルグ ではほとんどの人が英語を話せます。

4月から10月までは乾季、11月から3月は雨季で、年間を通して温暖な気候です。アフリカというと常に暑いイメージですが、南アフリカでは朝晩の冷え込みが激しいので注意が必要です。

暑い日でも湿度が低いため、日差しにさえ注意すれば過ごしやすいです。

また、虫除け対策をしていればマラリアの心配はないため、予防薬等を服用する必要はないと言われています。一方で、入国の際、黄熱病の予防接種とその証明は必要となるため、注意が必要です。

【南アフリカ】アパルトへイト撤廃から30年、ネルソン・マンデラゆかりの地を訪ねてみよう
(画像=『たびこふれ』より 引用)

アパルトへイトを肌で感じてみよう

アパルトへイトとは、なんだったのかを学んでみましょう。歴史の教科書でアパルトへイトという言葉を目にすることはありますが、実際にその実態を知る機会はあまりないかもしれません。

アパルトへイトとは、南アフリカが植民地であった時代から1994年まで続いた、白人と有色人種を差別していた政策を指します。移動や結婚、土地の所有の制限のほか、教育や就業、賃金の差別など日常の様々な場面で、白人と有色人種での分離・差別が行われました。

ヨハネスブルグ中心部から南東へ8kmほどのところに位置しているアパルトヘイト博物館では、その歴史や政策を学ぶだけでなく、アパルトヘイトの疑似体験ができるように設計されています。

チケットを購入すると、本人の人種にかかわらず、ランダムに白人か非白人かが記されています。入り口は2つあり、観光客は自分のチケットに記された入り口から入館します。

展示場は鉄格子で仕切られており、自分が入った入り口によって、白人視点、非白人視点のそれぞれの視点で展示物を見ることができるのです。差別をする側、される側、両方の視点からアパルトヘイトを学ぶことができます。

【南アフリカ】アパルトへイト撤廃から30年、ネルソン・マンデラゆかりの地を訪ねてみよう
(画像=『たびこふれ』より 引用)

筆者は非白人のチケットでした。鉄格子越しに「ビーチ、白人のみ」という看板が見えます。

【南アフリカ】アパルトへイト撤廃から30年、ネルソン・マンデラゆかりの地を訪ねてみよう
(画像=『たびこふれ』より 引用)

アパルトヘイト以外の展示スペースもあり、1880年代の出稼ぎ労働者が流入してきた際のアジア人コミュニティの様子や、来館者が石を積み重ねて行く事で差別に対して戦う連帯を示す参加型の展示もあります。

  • Apartheid Museum
  • 住所: Cnr Northern Parkway & Gold Reef Roads, Ormonde, Johannesburg
  • 営業時間:9:00~17:00
  • 閉館日:月曜日、火曜日