【クルマ物知り図鑑】ダイハツ初の本格乗用車は、イタリアンデザインの洒落者。コンパーノ・ベルリーナの光る個性と輝き
コンパーノ・ベルリーナは1963年11月にダイハツ初の本格乗用車としてデビューする。イタリアのカロッツェリア・ヴィニャーレが基本を手掛けたスタイリングはすでに発売されていたライトバン/ワゴン以上にスタイリッシュだった。パワーユニットはシリンダーヘッドにアルミ合金を使用した797ccnの直4OHV。最高出力は41ps(画像=『CAR and DRIVER』より 引用)

日本のモータリーゼーションを牽引したダイハツ

 ダイハツは、1907年に「発動機製造」として設立され、戦前・戦後を通じて主に3輪トラックの分野で知名度を上げる。日本のモータリーゼーションは、商用車、とくに3輪トラックが出発点になっている。その意味でダイハツは日本の自動車文化の出発点を支えたメーカーだといえる。

 ダイハツが早くから確固たる地位を築いたのは、マーケットニーズを取り入れる開発手法をいち早く導入し、失敗のない商品作りをしてきたからだった。たとえば、バイクと小型3輪トラックの隙間を埋める、今までにない革新的な「庶民のマイクロ3輪トラック」として大成功したミゼット(1957年8月デビュー)の開発期間は約5年。異例の長期にわたった。それは実際の設計を本格化させる前に、約2年もの時間をかけて入念な市場調査を行い、ユーザーニーズを明確にしたからだという。

【クルマ物知り図鑑】ダイハツ初の本格乗用車は、イタリアンデザインの洒落者。コンパーノ・ベルリーナの光る個性と輝き
(画像=『CAR and DRIVER』より 引用)

 ダイハツ初の本格サルーンとして1963年11月にデビューしたコンパーノ・ベルリーナにも、ダイハツの慎重な姿勢が貫かれていた。1960年代半ばは、現在とは違って、まだまだ乗用車は憧れ、贅沢な存在だった。オーナードライバーの多くはサラリーマンではなく、商店などを経営する自営業者。彼らはウィークデイは仕事の足として使え、休日にはファミリーカーとして活躍するマルチユースなモデル、すなわち商用車のライトバンを好んだ。ダイハツはそれを熟知していた。コンパーノはまず1962年秋のモーターショーでプロトタイプを発表。想定ユーザーの高い評価を確認したうえで、1963年4月に商用車のライトバンから市販を開始する。その2ヶ月後の6月に各部を豪華に仕上げたワゴン(乗用車登録)を発売。セダンタイプのベルリーナの登場は、さらに5ヶ月後だった。

際立つイタリアンデザイン。信頼のメカニズム

 導入手法は、堅実だったもののコンパーノ自体はフレッシュな魅力に溢れていた。何よりスタイリッシュだった。基本造形を手掛けたのはイタリアのカロッツェリア・ヴィニャーレ。スポーティなフロントマスク、伸びやかなサイドビュー、そして軽快なリアエンドのバランスは絶妙で、当時、アメリカ車の小型版といったイメージが一般的だった日本車の中で強い個性を主張する。とくにベルリーナは、ウインカーを配置したシルバー仕上げの個性的なBピラーを備え、センスのよさをみせつけた。

【クルマ物知り図鑑】ダイハツ初の本格乗用車は、イタリアンデザインの洒落者。コンパーノ・ベルリーナの光る個性と輝き
(画像=『CAR and DRIVER』より 引用)
【クルマ物知り図鑑】ダイハツ初の本格乗用車は、イタリアンデザインの洒落者。コンパーノ・ベルリーナの光る個性と輝き
(画像=『CAR and DRIVER』より 引用)

 インテリアもお洒落だった。セパレートシート、3本スポークステアリング、ウッドパネル張りのダッシュボードなど、欧州車のようなスポーティな感覚でまとめていた。
 メカニズム面は、信頼性を重視。頑丈な梯子型フレームを持つシャシーとボディの別体構造とされ、足回りはフロントがウィッシュボーン式、リアはリーフ・リジッドを組み合わせた。エンジンは実用トルクを重視した797ccの直列4気筒OHV(41ps/6.5kg・m)を搭載する。駆動方式はオーソドックスなFRである。ボディサイズは全長3800×全幅1445×全高1410mmとクラス平均。ライバルに対するアドバンテージはトランスミッションにあった。当初からフルシンクロ機構を備えており、3速仕様が一般的ななかで、エンジンパワーを効率よく引き出せる4速タイプとしていた。コラムシフトが標準だったが、一段と操作性に優れたフロアシフトも選ぶことができた。コンパーノ・ベルリーナのトップスピードは110km/hに達した。