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大型化と4輪車の発展で日本から3輪消滅、くろがねも4輪へ

大型化と4輪車の発展で日本から3輪消滅、くろがねも4輪へ

軽商用車「ベビー」が最後のチャンスだったが…国産トライクでブランド復活してほしい「くろがね」はなぜ没落したか
(画像=かつてのくろがねオート3輪、KP型 出典:flickr.com Author:Kzaral CC BY 2.0,『MOBY』より 引用)

ではなぜ、日本ではオート3輪の全盛期から現在のトライクまで一時期3輪がほとんどなくなっていたのか?

戦後も国家・国民そろって貧乏だった日本では主流のオート三輪ですが、戦前から小型4輪を手掛けたダットサン(日産)や、戦後に小型4輪へ参入したトヨタなどが気合を入れてコストダウン、安価な小型4輪トラックや乗用車を1950年代から作り始めます。

その一方でオート3輪はユーザーの求めに応じた大型化、むき出しの運転席から鋼製キャビン化など高級化が進んでおり、サイズや快適性が似たようなものなら3輪でも4輪でもあまり価格差がなくなり、安定性に優れた4輪車が主流になるのは当然でした。

そのため戦前からの名門、戦後参入組も揃って3輪から4輪への転換を図りますが、もちろんそれなりの開発費や設備投資が必要になるので、いくら3輪での商売が安定していても、「明日から4輪作ろう!」とはなかなかいきません。

そのへんうまくやって現在も生き残っているマツダやダイハツですが、他にもコニー(愛知機械工業、現在は日産傘下)やホープ(ジムニーの原型、ホープスターON型4WDなどで有名)が、1960年代に事業継続を断念するまで、さまざまな4輪車を作っていました。

戦前からの「くろがね」ブランドを擁する日本内燃機もその1社…と言いたいところですが、同社の場合はどうも経営状況があまりよろしくなかったようです。

戦前からダットサンに次ぐ小型4輪の名門で、戦後に復権を果たそうとしたオオタ自動車に工場を売ったかと思えば、経営不振で私鉄の東急グループに身売りし、同じく東急グループに身売りしたオオタ自動車を吸収合併する形で「東急くろがね工業」が誕生(※)。

(※当初は日本自動車工業、1959年に社名変更)

戦前の名門ブランド「くろがね」と、「オオタ」の両輪で、オオタの技術を活かした4輪事業へと再出発を果たした…はずでした。