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オート三輪から軽四輪までの名門はなぜ生き残れなかった?

オート三輪から軽四輪までの名門はなぜ生き残れなかった?

軽商用車「ベビー」が最後のチャンスだったが…国産トライクでブランド復活してほしい「くろがね」はなぜ没落したか
(画像=「くろがね」ブランド最初で最後の4輪ヒット作、くろがね ベビー(撮影:兵藤 忠彦)、『MOBY』より 引用)

戦後の「日本車復興期」にまだ数多くが存在したものの、1970年代以降現在まで定着している「日本車主要メーカー」としては生き残れなかった「1960年代までの自動車メーカー」として、MOBYでは過去に「くろがね ベビー」を紹介しました。

それが意外と好評だったので今回はセルフリメイク記事を製作、今後も同様に紹介していければと思いますが、前回のタイトルは編集部の方で”あの「東急」の遺産は“軽商用車”?わずか2年足らずで消えた60年代の名車・くろがね ベビー【推し車】”となっちゃっています。

こうした記事ではよくある話ですが、現在ももちろん存続している「東急」ではなく「オオタ」や「くろがね(日本内燃機)」の遺産ですから、今回はそのへんの話を中心に、ベビー後も「くろがね」が生き残っていれば、生き残るとすれば必要だったのは…というお話を。