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旧プリンスの執念、灰色のデビュー、そして伝説へ

旧プリンスの執念、灰色のデビュー、そして伝説へ

今や「日本車に歴史あり!」、その重要な一部であるスカG伝説で中興の祖となった、初代日産 スカイラインGT-R(PGC10/KPGC10)
(画像=旧プリンスがポルシェに雪辱すべく開発したプロトタイプレーシングカー、R380(上)のエンジン、GR8の流れをくむS20を積んだのが初代スカイラインGT-R(前期型4ドアセダンPGC10),『MOBY』より 引用)

過去記事でも紹介しましたが、初代スカイラインGT-Rが登場した経緯とはまずもって「レースでの勝利」で、前作スカイラインGT(S54型)がレースでトヨタ 1600GTに勝てなくなったのと、スカイラインのモデルチェンジで新モデルが求められたことにあります。

そもそもS54スカイラインGTは第1回日本グランプリ(1963年)で、レースに対する認識の甘さで大敗を喫したプリンスが、翌年の第2回日本グランプリで雪辱を期すため急造されたマシン。

トヨタが3代目コロナ 2ドアハードトップをベースに、1.6リッターDOHCエンジン「9R」を積んでバランスのよい「1600GT」(1967年8月発売)をレースに投入した一方、規則改正でエンジンのデチューンを強いられた「スカG」は勝てなくなります。

世代としては2代目スカイライン(S50系・1963年発売)と3代目コロナ(T40/50系・1964年発売)ではほぼ同じでしたが、バルクヘッドから先のフロントを強引に延長してまで積んだ「G7」系の直列6気筒エンジンが威力を発揮できないのでは意味がありません。

さらにスカイライン自体も1968年8月には3代目C10系へモデルチェンジしましたし、最初から直列6気筒エンジン搭載車を設定(同年10月追加)としたC10系へ、強力なエンジンを積んで王座奪還に挑んだ方がよいのは道理です。

「2リッター級直列6気筒DOHC24バルブの高性能エンジン」といえば、日産に吸収合併された旧プリンスには、プロトタイプレーシングカーR380の「GR8」がありましたから、これを市販車用チューニングベースエンジンへ仕立て直した「S20」を積みました。

C10系には1970年10月に追加するまで2ドアハードトップはなかったので、4ドアセダンにS20を積んだPGC10型スカイラインGT-Rを1969年2月に発売、同年5月のレースデビュー戦では「トヨタ 1600GTの走路妨害」という灰色の決着でしたが、ともかく勝利します。

その後のスカイラインGT-Rは、パワーでもコーナリングでもライバルを圧倒し、2ドアハードトップ版KPGC10型の投入で王座を盤石なものとして、マツダロータリー軍団がカペラやサバンナGTを投入するまでレースで連勝、「伝説」となりました。