政治家が派閥を作りたがるのはひとりの意見より10人、20人の意見の方がより大きくなるからでしょう。政治家は政策実現のためにあらゆる工夫をするわけですが、賛同者がいないことには何もできない、そこで閥を作るわけです。

このような仕組みが日本の社会にはあらゆるところにはびこっています。これが身の丈とどう関係するのか、といえば「よそ者意識」です。同じ日本人でも隣人と必ずしも仲が良いわけではありません。マンションの鉄の扉は人の関係を冷たく遮断するものであり、お隣さんと親しく会話することはなかなかありません。

大学生あたりで「よっ友」という言葉が使われて久しいそうです。クラスなどで顔見知りなので「よっ!」とあいさつするけれどそれ以上はないというわけです。英語でGood Friendと訳すそうですが、誤訳だと思います。recognition (認識)、それ以上のなにものでもなく、友達なんかでもないのです。つまり会社や人々の交際交流範囲は思った以上に狭く、それを超えた部分は未知の世界とも言えるのです。

身の丈に合った生き方とはある意味、自分が所属している閥の中で出る杭にならず、うまく生きていくこと、これが日本的美感なのではないかと思うのです。冒頭のシャープの例とは踏み込んではいけない領域に入り込んだ、その入り方の礼儀がわるく、失礼な会社と思われたわけです。

では所属閥からは一生抜け出すことができないのか、これは議論が生まれそうです。ただ、日本では明らかに個人なり会社のキャリアや歴史を重んじる傾向があります。「あの人ってさ、昔〇〇だったんだって」とか「〇〇やっているあの会社が今度、これ作ったんだって」という感じです。新参者は明らかに距離を置かれる、これが常でしょう。

私はその制約が比較的薄いカナダで移民という立場で日々暮らしています。楽なんですね。気負うことなく、自分のビジネスを少しずつ成長させ、自分のライフを少しずつ変化させる中で閥意識をほとんど持たず、誰とでもすんなり入り込めるので新たな気づきやチャンスがたくさんめぐってきます。飛びつかず、しばらく放置した後「やっぱりやろう!」という選択もあります。