■「文化プログラム」として継承

日本が参加したのはそのうちの2大会だ。1932年の第10回ロサンゼルス大会には版画家の棟方志功さんや日本サッカー協会のエンブレムをデザインした彫刻家の日名子実三さんら総勢41名が参加。

1936年の第11回ベルリン大会には日本画家の東山魁夷さんや洋画家の脇田和さん、2大会連続となる棟方志功さんら総勢68名が参加している。

その後、芸術作品への評価や判定の難しさ、アマチュアリズムを掲げる中での「プロ」の参加、作品移送の問題などにより競技を廃止し、1952年の第15回ヘルシンキ大会からはメダル争いのない「芸術展示」に変更されることとなった。

さらに、1992年の第25回バルセロナ大会からは、芸術だけでなく開催国の文化なども含めて紹介する「文化プログラム」に姿を変えた。