【フィアット131】アバルトラリーの陰で目立たない、124のように真面目なベルリーナ

【知られざるクルマ】Vol. 32 70’s フィアット・ベルリーナストーリー(2)「130」「131」「132」……地味だけど、これぞフィアットという佳作セダンたち
(画像=「124」の後継として、1974年に誕生した「131」。正しくは「131ミラフィオーリ」と称した。当初は1.3Lと1.6Lエンジンでスタート。写真は丸目4灯タイプの「スペシャル」。いっぽう、「スタンダード」は、カドが丸い矩形ヘッドライトだった。『CARSMEET WEB』より引用)

1974年デビューの「131」は、ヒット作となった「124」の後継車として、2ドア・4ドア・ファミリアーレ(ステーションワゴン)のバリエーションを提げて登場した。「124」がそうだったように、OHVエンジンの後輪駆動で、特段凝ったメカニズムを持たないオーソドックスな設計は「131」でも踏襲されたが、これはフィアットの中核車種となるがゆえの堅実さと、整備の容易性を図ったためだった。

「131」も地味なモデルだったものの、市井の人々に向けたファミリーカー作りに長けたフィアットらしく、快適性・積載性・経済性・操縦性といったセダンや実用車に必要な要素を見事に、かつ高い次元でまとめあげていた。これもまた、実にフィアットらしい佳作といえる。

「131」は正しくは「131ミラフィオーリ」と名付けられたが、「ミラフィオーリ」とは、トリノのフィアット本社ミラフィオーリ工場からの命名。ボクシーで無駄のないデザインは今見ても新鮮で、124よりも断然モダンに進化していた。

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(画像=スクエアなデザインゆえに大きく見える「131」だが、全長は約4.2mしかない(とはいえ前任の124より20cmほど長かった)。それでも居住性はとても高かったのは、この写真からも察することができよう。『CARSMEET WEB』より引用)
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(画像=「131」には、極めて魅力的なステーションワゴンの「ファミリアーレ」も存在した。『CARSMEET WEB』より引用)

1978年にはマイナーチェンジを受けてセリエ2(シリーズ2)に発展。全車、大型の矩形ヘッドライトを備え、バンパー形状も変更された。メカニズム面では、OHVエンジンのSOHC化を実施。1.3/1.6LのDOHCユニットを搭載した「スーパーミラフィオーリ」も追加されている。1981年になって再び改良が行われてセリエ3を迎え、1984年まで生産された。この際、「スーパーミラフィオーリ」のDOHCエンジンを2Lに拡大している。

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(画像=1978年にマイナーチェンジを受けたセリエ2では、1.3/1.6L DOHCエンジンを新たに搭載。DOHCモデルは、「スーパーミラフィオーリ」を名乗った。写真は、その「131スーパーミラフィオーリ」。『CARSMEET WEB』より引用)

「131」といえばまず「アバルトラリー」が思い出されるが、この連載ではまずノーマルのモデルから紹介するため、出番が遅くなったことをご容赦いただきたい。

1970年代なかば、傘下のランチアが国際ラリーに「ストラトス」で参戦して勝利を重ねていたものの、ラリー専用のような車種での「販促効果」があまり認められず、フィアットは車種を「131」に変更。2ドアモデルにアバルトがチューンした2L DOHCエンジンを載せ、グループ4 のホモロゲーションモデルとして1976年に400台が発売された。

軽量化のためにボンネットやドアにはFRPやアルミパネルを用いたほか、外観はベルトーネに委ねられ、ベルトーネ時代のガンディーニが迫力あるデザインを生み出した。市販モデルで140psだった最高出力は、ラリーマシンでは最大で240psまで高められていたという。素性の良さから1977年・1978年と1980年のチャンピオンマシンに輝いている。

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(画像=「131」といえば「アバルトラリー」だ。当時、タミヤのプラモデルを興奮して作った記憶が蘇る。日本でも販売されたことがあり、1977年時点で680万円のプライスタグを掲げていた。同じ頃輸入していた「131ミラフィオーリ」が280万円だったので、その2倍以上だったことがわかる。『CARSMEET WEB』より引用)
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(画像=セリエ2からは、「民生版アバルトラリー」ともいえる「131レーシング」も発売された。エンジンは、後述の「132」用2L DOHCで、115psを発生した。「アバルトラリー」のような迫力も性能は備えていないが、内外装には、ほどよいスポーティなアレンジが施されていた。1981年にセリエ3に移行した際には、「レーシング」に代わり、2L DOHCエンジンをルーツ式スーパーチャージャーで過給して135psに性能を高めた「ヴォルメトリコ・アバルト」も登場している。『CARSMEET WEB』より引用)
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(画像=「131」の後継車は、1983年登場の「リトモ」のノッチバック版、「レガータ」であることはあまり知られていない。こちらも超がつくほど地味だが、全方位で優れた佳作セダンだった。『CARSMEET WEB』より引用)

【フィアット132】 125の後継 一時期は旗艦も務めた、まさに知られざるフィアット

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(画像=1972年に「125」の後継としてデビューした「132」。当初のエンジンは、「125」から引き継いだ1.6L DOHCと、124スポルトクーペ/スパイダー用の1.8L DOHCを搭載していた。『CARSMEET WEB』より引用)

「その1」から数ヶ月経ってしまったので、ただでさえ知名度が低い「125」のことはすっかり忘れられてしまったと思うのだが、その「125」の後継モデルが、「132」だった。登場は1972年で、「131」よりも早いので注意が必要だ。「132」は、適度な性能を持つファミリー・スポーティセダンという性格だった「125」と同じキャラクターを受け継ぎ、1.6/1.8L DOHCエンジンに、上位モデルの「130」に似た新しいボディを合わせていた。ところが操縦性や燃費の悪さが指摘され、足回りのアップデートなどが頻繁に行われた。

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(画像=こちらは1974年にマイナーチェンジを行ったのちの姿。フロントグリルが変更されている。『CARSMEET WEB』より引用)

外連味がなく好ましく見えるデザインも、当時のBMW 5シリーズに似ているといわれ、評判はイマイチだったという。そこで1977年のマイナーチェンジでバンパーの大型化を実施して、少々近代的な装いを得た。この頃、フィアットの旗艦「130」が生産中止となったのを受け、「132」がフラッグシップの役割を引き受けたため、1.8Lエンジンを2Lに拡大。さらに後年、インジェクション版も設定している。

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(画像=フィアットの地味セダンの極北、それが「アルジェンタ」だ。1981年に「132」をアップデートして生まれたモデルだったが、如何せん古さは隠せず、1985年で生産を終えてしまった。注目は2.5Lターボと、「ヴォルメトリーコ」の存在だろうか。写真は、「引っかき傷」エンブレムが与えられた1983年以降の「アルジェンタ」。『CARSMEET WEB』より引用)

それでは、2回に分けて記してきた「1970年代のフィアット・ベルリーナ」の最後は、「アルジェンタ」で締めようと思う。「アルジェンタ」は「132」の大規模マイナーチェンジモデルで、1981年の登場。キャビンやドア、ガラスに「132」の面影を残すが、それ以外のパネルは新たに作り変えられていた(でもその努力がほとんどわからないのもミソ)。

ところがここまでしても「132」由来の古さは隠せず、「パンダ」や「リトモ」などのモダン・デザインを輩出していたあとのフィアットとしてはいささか古典的な雰囲気を拭い去ることもできなかった。

その存在感、地味さ、いぶし銀のような渋さ、地味ながらもセダンとしては忠実な設計で、外観を裏切るほど出来が良いこと、日本にも正規輸入されていたのに限りなく知名度が低いことなど、「知られざるクルマ」という連載、そしてこの記事のラストを飾るにふさわしいクルマではないだろうか。

【知られざるクルマ】Vol. 32 70’s フィアット・ベルリーナストーリー(2)「130」「131」「132」……地味だけど、これぞフィアットという佳作セダンたち
(画像=なぜ最後に「クロマ」が……と思ったかもしれない。「アルジェンタ」とフィアットの旗艦というポジションを継いだのは、このクロマだった。『CARSMEET WEB』より引用)

まさに「知っていても役に立たない」知識だとは思うが、小型車がメインで、モダンデザインをまとい、先進的なイメージを持つフィアットが、これほどに堅実で、地味なセダンを多数販売していたことは、フィアットの歴史を知る上で、ぜひとも記憶の片隅においてほしいと思う。

なお「131」にはスペイン版の「セアト131」や、トルコ版の「トファシュ・ムラット131」が、「132」ではポーランド版の「ポルスキ・フィアット132p」、ユーゴズラビアの「ザスタヴァ132」、南アフリカのアルファロメオで製造されていた「エリタ」など海外生産版がいくつもあり、従来なら紹介しているところだが、今回は記事を短くするため、省略したことをお許しいただければ幸いである。

文・遠藤イヅル/提供元・CARSMEET WEB

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