誰もが知る有名なメーカーが出していたのに、日本では知名度が低いクルマを紹介する連載、【知られざるクルマ】。第31回では、「1970年代のフィアット・ベルリーナ」の「その 1」として、「124」「125」「128」を取り上げた。ところが目立たないが佳作が多いフィアットのセダンは、まだある。そこで「その2」となる今回は、1970年代に登場し、フィアットを支えた「130」「131」「132」をお送りする。
今回も「地味なフィアットのベルリーナ」が満載!?
前回と同じような導入となるが、フィアットと聞いて多くの人が思い浮かべるのは、ルパン三世で活躍する「ヌォーヴァ500」、そして「パンダ」「ウーノ」「プント」「500(2007〜)」などの「小型車」「小型ハッチバック」ではないかと思う。
しかし、1970年代までのフィアットが生産する車種には、セダンとその派生車種も多かった。しかも後輪駆動で設計はオーソドックス、外観も地味ながらも室内は広く快適、経済性・操縦性にも優れた、佳作と呼べるセダンがたくさんあった。
そこで「その2」では、「その1」で紹介した 「124」「125」「128」よりも後に登場した「130」「131」「132」をお送りする。数字車名のルノーのように、数字が大きければ車格が上がるわけではないのがフィアットのセダンの難解なところだが、このあたりは本文でしっかりフォローしていきたい。
なお、頻出する「ベルリーナ」という言葉は、イタリア語でセダン、サルーンを意味する。
【フィアット130】ライバルはBMWやメルセデス・ベンツ! 6気筒を積む高級フィアット
まずは「130」である。前回「128」で終えたので、その後継かと思いきや関係はなく、こちらはフィアットのラインナップの頂点を担う、フラッグシップモデルだった。だが「130」のことを記す前に、戦後の「旗艦フィアット」の歴史をざっくりと振り返ろうと思う。
1950年、戦前の設計を引き継がない戦後初のモデルとして「1400」が誕生。フィアットで初めてのモノコック・ボディ、前輪独立懸架、アルミヘッドを持つOHVエンジンなど、進んだ機構を採用していた。1952年には、1.9Lエンジンを搭載し、外観・装備も高級化された「1900」を追加。1950年代の旗艦を務めた。
1950年代も後半になると、「1400/1900」の古さが目立つようになってきた。そこでフィアットは、後継車の「1800/2100」を1959年にリリース。丸いボディから直線基調に進化し、テールには世界的に流行したフィンを備えて小さなアメリカ車のような風情を得た。搭載された直6OHVエンジンは、フェラーリに在籍したアウレリオ・ランプレティが設計していた。1961年には穴が空いた「1400」のクラスを埋めるべく「1300/1500」を追加。さらに1961年、「2100」に代わって排気量を2.3Lに拡大した「2300」がデビュー。1968年まで作られた。
そしてようやくここで「130」の記述が始まる。「130」は、上述の旗艦モデル「2300」に代わり、1969年に発表された。車体は一気にサイズアップして全長は4.7m、全幅も1.8mを超える大きさに。ライバルにメルセデス・ベンツやBMWの6気筒エンジンを積む高級モデルをライバルに据えていた。
そのためエンジンは、140psを絞り出す新開発の2.9L V6 SOHCに換装。当時のフィアットのV6といえば「ディーノ」のそれが想像されるが別もので、バンク角もディーノ用の65度と違ってこちらは60度だった。ところが肝心の外観は、「125」を大きく、平たくしたようなデザインで、落ち着きはあるものの高級車らしさが薄いのは否めなかった。とはいえハンドリングの良さが高く評価されたのは、実にイタリア車らしいところだ。
1971年には、セダンと打って変わってモダンでシャープなボディを持つ「130クーペ」を発表。その美しいボディは、ピニンファリーナがデザインしていた。クーペとはいえ居住性は高く、大人4人でも快適な移動が可能だった。
「130クーペ」は、「130」のベルリーナ以上に高級に設えられていたが、フィアットブランドと高級クーペのイメージ乖離もあって販売は伸び悩み、1977年までに約4300台が生産されたに過ぎない。販売不振はベルリーナも同じで、こちらは一足早い1976年に約1.5万台でその命脈を閉じたが、その後しばらく、フィアットは6気筒エンジンを積むモデルから手を引くこととなった。なお「130クーペ」は、1976年に発表された同門ランチアの高級クーペ「ガンマ・クーペ」が後任にあたっている。