目次
急務の「インテグラ」テコ入れだが、結果はホンダ全体のイメージアップ

急務の「インテグラ」テコ入れだが、結果はホンダ全体のイメージアップ

カタログスペックに留まらない「本物」は、ライバルを一掃した…ホンダDC2/DB8 インテグラタイプR(初代)【推し車】
(画像=もはやSUVやミニバンメーカーになったのか…と嘆かれたホンダによる「意地の一撃」だったとも言えるだろう,『MOBY』より 引用)

特に問題だったのはシビックとアコードの中間にあたる小型大衆車「インテグラ」で、初代(1985年)は発売時にDOHCエンジン専用車(後にSOHCエンジン車も追加)、2代目(1989年)は初のDOHC VTECエンジン搭載車だったのが売りというスポーツ路線。

しかし1993年に発売された3代目インテグラは、リッター100馬力/1.8リッター180馬力のB18A型DOHC VTECエンジンを積むとはいえ、既に「そんなの当たり前」となっていた時代では、新鮮味に欠けます。

ましてや「グループAレースや、4ドア2リッターツーリングカーレースのJTCCならシビックやアコード、スーパーカーならNSX、軽ミッドシップスポーツならビート」というラインナップの中、インテグラには華々しいイメージが必要だったのでしょう。

NSXタイプR(1992年)に続き、手頃な価格で本格スポーツを楽しめる「第2のタイプR」として、3代目インテグラが起用されたのには、こういう背景もあったのだろうと思われます。

もっとも、結果的にインテグラ タイプRのおかげでベースの3代目インテグラが売れたかというと、結果は「そうかな?」でしたが(これは初代シビックタイプRも同じ)。

ただ、そもそもハッチバック車やクーペ、セダンが売れない時代になったので、ベース車というよりホンダのイメージアップに大きく貢献したのだけは、間違いありません。