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四半世紀近く前に実現していた、「2人乗り軽マイクロBEV」
「日産」として開発・販売した唯一の軽自動車
四半世紀近く前に実現していた、「2人乗り軽マイクロBEV」
自動車に限らず、どのような製品でも新時代の開拓に挑戦する画期的な製品は存在しますが、その全てが成功するとは限らず、失敗作として世間から忘れ去られたり、あるいは時代に対しては大きな役割を果たしつつ、ヒット作の座はライバル製品にさらわれるものも。
そうした製品の中で、自動車における「挑戦車」を紹介するこのシリーズ、今回は日産が「西暦2000年」、つまり今から四半世紀近くも前に発売していた、リチウムイオンバッテリー搭載BEV(バッテリー式電気自動車)、「ハイパーミニ」です。
同社初の専用ボディBEVというだけではなく、2人乗りマイクロカーという現在の「超小型モビリティ(型式指定車)」に相当するという意味でもチャレンジングなクルマでしたが、コンセプトとしては一代きりに終わったハイパーミニ、どんなクルマだったのでしょう?
「日産」として開発・販売した唯一の軽自動車
ハイパーミニ以前もそれ以降も、実は自社で軽自動車を開発・販売したことのない日産。
今はサクラがあるじゃないか…と思うかもしれませんが、これは連合を組んでいる(実質的には傘下の)三菱との軽自動車合弁会社「NMKV」で開発され、三菱の水島製作所(岡山県)で生産していますから、実質的には三菱車(eKクロスEV)の日産版です。
戦前に「ダットサン」ブランドを獲得以降、小型大衆車に熱心という意味ではむしろ日本最古に属する歴史を誇る日産ではありますが、1949年に軽自動車規格が策定されてからも参入することはありませんでした。
かつては、1966年に傘下に収めた愛知機械工業が「コニー」ブランドで軽商用車を生産しており、日産傘下入り後も販売会社は「日産コニー店」として存続しましたが、ライバルに対抗できずに撤退、コニー店も「日産チェリー店」へ変わって現在は消滅。
強いて言えば、「日産コニー店」があった時代に日産も軽自動車を売っていたと言えないことはありませんが、ブランドはあくまで「コニー」でしたし、愛知機械も日産車の下請け生産を経て、今は純粋な部品メーカーとなっています。
そのため、やはり「日産」として開発・販売した軽自動車とは、後にも先にも少数生産・販売したBEV(バッテリー式電気自動車)のハイパーミニだけであり、それだけでも特異な存在だったと言えるでしょう(今後はわかりませんが…)。