スカイラインが抜いた!

 しかしレース直前、事態が急展開する。当時世界最速と目されていたレーシングプロト、ポルシェ904GTSの突然の参戦である。トヨタと関係が深かった式場壮吉選手が急遽空輸で持ち込んだもので、急参戦の裏にはトヨタの協力があったといわれている(当時GT-IIレース用マシンをトヨタは準備していなかった)。ポルシェ904GTSは180psを発揮する純スポーツユニットを運転席背後に配置したミッドシップスポーツでトップスピードは260km/h。いくら6気筒ユニットを搭載したとはいえスカイライン2000GTが敵う相手ではなかった。

【クルマ物知り図鑑】前年の敗北が原動力。1964第2回日本GPでのポルシェとの激闘が生んだスカイライン神話
(画像=『CAR and DRIVER』より 引用)
【クルマ物知り図鑑】前年の敗北が原動力。1964第2回日本GPでのポルシェとの激闘が生んだスカイライン神話
(画像=『CAR and DRIVER』より 引用)

 とはいえ、レースとはまさにドラマである。第2回日本グランプリは意外な方向で展開した。式場選手が操るポルシェは予選で大クラッシュをしてしまい満身創痍で決勝レースに参戦。スタートでトップに立ったものの、各コーナーでスカイラインに激しく追い立てられたのだ。そして運命の6周目。式場選手が周回遅れのトライアンフの処理に手間取っている隙に生沢選手のスカイラインがポルシェを抜きトップに立つ。ポルシェを従えてメインスタンドに戻ってきたスカイラインに鈴鹿サーキットを埋め尽くした10万人を超える観衆は熱狂! スカイラインに惜しみない声援を送った。

 結局、その後ポルシェがスカイラインを抜き返し、式場選手が優勝を飾る。しかしスカイラインもまた勇者だった。圧倒的な性能差にひるむことなく、一度はポルシェを抜き去り最後まで猛追したスカイラインに、観衆は世界に向かって飛翔しはじめた日本をオーバーラップさせたに違いない。レース直後からスカイライン人気は沸騰。レース用に限定生産された2000GTは瞬く間に売り切れ、その後正式なカタログモデルに昇格した。

 日本車は語るべきヒストリーがないと一般的にはいわれる。しかしスカイライン2000GTは別格の存在だ。第2回日本グランプリで自らのアイデンティティを確立し、その後見事に発展させた日本が世界に誇る名車である。

【クルマ物知り図鑑】前年の敗北が原動力。1964第2回日本GPでのポルシェとの激闘が生んだスカイライン神話
(画像=『CAR and DRIVER』より 引用)

提供元・CAR and DRIVER

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