この問題を経済紙の日経の社説が「『さきの大戦』と呼ぶ意味を考えよう」という見出しで、問題提起をしています。社説がこうした角度から考えようとする姿勢は評価します。

もっとも、「先の戦争」とは日経社説でも触れているように、「4つの戦争が重なった複合戦争だった。日中戦争、日米戦争、英仏欄との戦争、対ソ戦争が含まれ、戦争の呼称を定めにくい」(波多野澄雄氏)そうです。それにしても「さきの大戦」は分かりにくい。

「大東亜戦争、太平洋戦争」の定義が国会で議論になったことがあり、政府は2006年の答弁書で「それらの定義を定める法令はない。いかなる用語を使うかは文脈による」としました。政府の立場からするとそうなのかもしれない。メディアは自由に問題点を報道したらよい。

朝日新聞の社説は「敗戦から79年の今年」と、「敗戦」という表現を使いました。毎日新聞の社説は「世界の紛争は2023年、59件を数え、1946年以来の最多となっ」と、指摘しました。読売新聞は「日本は先の大戦の苦い教訓を踏まえ、憲法の平和主義と、国連憲章を忠実に守り、国際社会の安定に尽くしてきた」と、政府側の立場を踏襲したような言い方です。社説を書くなら、「終戦」なのか「敗戦」なのかを、はっきり指摘しておくべきでしょう。

この日、自民党の木原防衛相、高市経済安保相らが靖国神社を参拝しました。ほかに「靖国神社で参拝する国会議員の会」(野党を含む超党派で構成)からも参拝した議員がいたはずです。靖国参拝が日中間の外交問題になるのは、「大東亜戦争」を主導し、海外にも国民にも苦しみを与えたA級戦犯(戦争責任者)が1978年に突如、合祀されたからでしょう。

自民党議員はともかく、野党議員ならば、「明治時代以来、国のために殉難した将兵らが祀られており、その人らを思い参拝した。私の参拝では、A級戦犯はその対象にしておりません」くらいの説明はできそうなものにと、思います。自民党議員の場合でも、そうしたことを述べる人がいてもいいのに、そんな話は聞こえてきません。