さらなる性能の向上を目指して進化
MGやトライアンフのような英国製オープンスポーツのイメージに変貌を遂げたSP310型系の「フェアレディ1500」。トランスミッション後部にX型のクロスメンバーを追加した専用シャシーにスポーティなオープンボディを被せ、セドリックに積んでいたG型1488cc直4OHVエンジンと2〜4速にシンクロをもつフロアシフト式4速MTを組み込んだフェアレディ1500のキャラクターは国内外で好評を博し、しだいに販売台数を伸ばしていく。生産台数はデビュー当初の1962年が505台にとどまったものの、1963年は2734台、1964年は4350台に達した。輸出に向けられた比率も高く、1962年が全生産台数の42.3%、1963年が同61.3%、1964年が同57.1%を占める。つまり、フェアレディ1500は日産自動車にとっての重要な輸出製品だった。
この好調さを維持しようと、日産の開発陣は積極的にフェアレディの改良に着手する。目指したのは、さらなる性能の向上。実は当時は最高速が160km/h、つまり100マイルを突破すると本格スポーツカーと認められた。だがフェアレディ1500のトップスピードは150km/h。日本車としては高性能だったが、国際的にはさらなる高性能化が求められた。
スポーツカー専用エンジンの採用
フェアレディの改良を進める最中、日産の開発現場では別のプロジェクトも進行していた。フェアレディの基本コンポーネントを使用した新世代の高級クーペ(後のシルビア)を造ろうとしたのである。そのため、開発陣は改良版フェアレディと高級クーペの両車に使えるメカニズムの開発を鋭意、推し進めた。
搭載エンジンについては、従来のG型に比べてよりオーバースクエアなボア・ストローク比を持つ“スポーツカー専用”のR型を開発する。ボア87.2mm×ストローク66.8mmの1595cc直4OHVは、燃料供給装置にHJB38W-3型キャブレターを2連装したうえで吸排気マニホールドの形状を変更。90ps/6000rpmの最高出力と13.5kg・m/4000rpmの最大トルクを発生した。また、コンロッドベアリングに特殊金属のF770を、メインベアリングにF550を採用し、耐久性を一段と高める。
エンジンの高性能化に伴い、トランスミッションも強化される。4速MTにはポルシェ社が特許を持つフルシンクロ機構を採用。変速比は第1速3.382/第2速2.013/第3速1.312/第4速1.000/最終減速比4.111(オプション3.889)に設定した。また、ディファレンシャルギアには大型タイプを、プロペラシャフトには高速型を組み込む。クラッチ機構も大幅に変更され、西ドイツ(現・ドイツ)のF&S(フィヒテル・ウント・ザックス)社製ダイヤフラム式クラッチを新採用した。
足回りはフロントがウイッシュボーン/コイル、リアが半楕円リーフと従来のSP310型系と同形式なものの、エンジンの高出力化に合わせて専用チューニングを実施する。同時に、フロントブレーキには住友電工製のディスクブレーキ(ディスク径284mm)を採用し、制動性能を高めた。また、タイヤサイズは従来の5.60-13-4Pから5.60-14-4Pに引き上げ、フロントトレッドも57mmほど拡大(1270mm)する。
エクステリアに関しては、ラジエターグリルの横3本線化とホイールキャップのデザイン変更、モールディングの一部簡略化を実施。ソフトトップの改良やワイパーの高低2速化など、機能性も引き上げた。インテリアでは、従来型のインスツルメントパネルを踏襲しながらペダル形状を見直し球形シフトノブを装着。ドライバーの操作性を向上させる。また、オプションとしてハードトップ/トノカバー/フォグランプ/オーバーライダーなどを用意した。