子供が困った時、不安な時は「こうすればいい」とビシッと解決策を提示して従わせるのではなく、とにかく子供の話を聞く。「どうしたらいいと思う?」と自分で考えさせて、迷っていたら後ろからポンと背中を押すイメージだ。先日、夏休みの自由研究についてどうしたらいいか迷って相談をされたので、二人であれこれアイデアを出し合ってブレインストーミングした。最後はたくさん飛び出たアイデアから自分で組み合わせて自己解決していった。

困った時に相談できる、悩んだら話を聞いてくれる、道を示すのではなく一緒に考えてくれる。そんな存在が身近にいれば子供の主体性を奪うことなく、勇気を持ってドンドン挑戦ができるだろう。子供の代わりに親が決めるのではなく、子供が決める手伝いをするのだ。自分はとりあえずその考えで育ててきたが、今のところはうまくいっているようである。

子供のじゃまをしない

親は子供にとってあまりに信用されている存在である。そのため、その気になれば子供の進路のすべてを親が道を敷くこともできてしまうし、実際そうする親もいる。

先日会った親から「うちの子は勉強できないから、4人全員を自衛隊に入らせた。これなら今後も仕事に困ることはないし安心」という話を聞いたが、自分からするととても恐ろしい話に感じた。自衛隊に入る事を問題だといっているのではない。そうではなく、子供の主体性なき就職を親の判断で実現させてしまったことが問題だという話だ。

時代の変化が激しい現代、前時代の人間が発想できることなどこれからの時代に通用しない可能性が高い。時代を作るのは常に若い世代である。彼らはその時代の先端のテクノロジー、時代のニーズを敏感に感じ取って最も新しい道を自ら探し出す。多くの場合、年上の前時代的なアドバイスなどじゃまでしかない。年長者の役割はやかましく口を出すのではない。真に出すべきは挑戦に必要な資金と応援だけである。