驚いたルーズベルトは、イギリス支援用の軍需物資を、急遽ソ連向けに振り替えるなどの緊急措置をとり、イギリス政府も了承。同書はこう指摘します。

もし、ソ連の対独戦線が崩れれば、ソ連は屈服し、再びドイツが(1941年5月に終了したバトル・オブ・ブリテンを再開し)イギリス本土侵攻に向かうとみられていたからである。その対英攻撃は前年よりはるかに強力なものとなり、イギリスに本格的な危機が訪れると考えられていた。イギリスの敗北は、アメリカにとってヨーロッパでの足がかりを失うことになり、安全保障上の許容し得ない状況に陥ることを意味した。

この余波で、アメリカの日本への石油輸出が削減されます。それだけではなく、対日石油禁輸措置には、日本がアメリカとイギリスに宣戦布告するように誘導するという目的もあるのです。

第一次大戦後のアメリカは、ウィルソン大統領が提唱した国際連盟でさえ、議会の猛反対で加盟できなかったように、極めて孤立主義的な態度をとっていました。このため、中立法による制限で、議会の了承なしにはヨーロッパ戦線には参戦できなかったのです。

そこで、苦肉の策として武器貸与法を成立させ、イギリスを援助するために武器を貸し与えていたのですが、それにも自ずと限界があります。これは、現在のアメリカからウクライナへの武器貸与を連想させます。

日米が開戦すれば、日独伊三国同盟を理由として、自動的にドイツはアメリカに宣戦公布。これにより、アメリカはドイツとの戦争に突入し、念願だったイギリスへの援助の大幅強化が可能になるのです。

このように、アメリカやイギリスにとっては、どうしても対日石油禁輸を実施するしかない、極めて切実かつ絶対的な理由があったことになります。

なぜ独ソ戦が始まったのか

では、なぜこのタイミングで独ソ戦が始まったのか。定説はないようですが、2013年に発見された「秋丸機関の研究報告書」が正しいとすれば話は簡単です。下の図にあるように、1941年6月に独ソ戦が開始された時点で、ドイツの生産力は既に限界に達しており、ソ連の生産力が喉から出るほど欲しかったからでしょう。