「市場」とは、種々雑多な情報やデータ、複雑な利害関係で構成され、誰かが操るのではなく、多種多用な取引を通じて、方向性が「市場の見えざる手」によって結果として固まってくる。そういうものだと思います。中央銀行自身がプレイヤー(国債やETFの保有者)になり、「対話」を通じて、ある方向に引っ張って行こうとするのは、「市場原理」に反します。

経済専門紙の日経新聞の社説(10日)を読んで驚いた人は多かったでしょう。「日銀の市場との対話は十分だったか」という見出しです。「日銀が円安のリスクへの懸念をより強めていることは市場には十分に伝わっていなかった」と、批判しています。円安リスクが市場に与える影響などは、投資家、市場関係者が自ら判断すべきものでしょう。

日銀の市場との対話は十分だったかという社説を掲げる日経新聞 2024年8月9日

さらに「事前にすべてを伝える必要はないものの、結果をみれば、市場との対話が円滑だったとはいえまい」、「入念な市場との対話と精緻は情勢分析を通じ、適切な政策運営につなげる不断の努力を強く求めたい」と、日銀を批判しています。「事前にすべてを伝える」ようにしたら、インサイダー取引になってしまうのではないか。

「中央銀行との対話」とは、金融政策の内容、目的、その根拠などの説明は受け、そこから先は投資家、市場関係者(メディアを含む)が自ら判断するというものでしょう。他紙を含め、「市場との対話」路線の必要性をを金科玉条のように唱える傾向に疑問を感じます。

編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2024年8月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。