またこうした絵踏みに使われていた踏絵は、幕府や藩のもとで厳重に管理されていました。

例えば平戸藩(現在の長崎県平戸市)では幕府から真鍮踏絵を借りるにあたって、藩内で使われていた板踏絵などを焼き捨てており、その灰までも集めて処理していました。

なぜそこまで徹底的に管理されていたのでしょうか?

これは踏絵自体も信仰の対象物になる恐れがあったためです。それゆえ藩は、踏絵を処分後の灰まで管理していたのです。

このようなこともあって、踏絵を見ることは非常に難しく、たとえ藩主であったとしても簡単には踏絵を見ることができなかったのです。

また真鍮踏絵を持っていたのは幕府だけということもあり、幕府から真鍮踏絵を借りない藩では従来の板踏絵が使われていました。

しかし先述したように板踏絵は何度も使われるうちにどんどん劣化してしまいます。

また禁教政策が定着したことにより新しい踏絵を調達することも困難になっていたため、替えの効かない板踏絵は行政的な道具として大切に保管されるようになったのです

こういったところにも、江戸時代独特の価値観が窺えます。

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参考文献

絵踏の展開と踏絵の図像 ―貸借にみる踏絵観― (seinan-gu.ac.jp)
http://repository.seinan-gu.ac.jp/handle/123456789/2150

ライター

華盛頓: 華盛頓(はなもりとみ)です。大学では経済史や経済地理学、政治経済学などについて学んできました。本サイトでは歴史系を中心に執筆していきます。趣味は旅行全般で、神社仏閣から景勝地、博物館などを中心に観光するのが好きです。

編集者

海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。