それでも絵踏みがなくなることはなく、江戸時代中期には長崎奉行所で毎年旧正月に絵踏みが行われていたとされます。
当時の長崎の人々はこれを正月の恒例行事としてとらえており、遂には「絵踏み」が春の季語として認められるまでにいたりました。
どんどん雑になっていった踏絵の絵
このように江戸時代を通して行われていた絵踏みですが、それに使われていた絵はどのようなものだったのでしょうか。
絵踏みに使われていた絵は様々なものがあり、現存するものだけでも「十字架に吊るされているキリスト」や「聖母マリア」など非常にバリエーションに富んだ様々な種類の踏絵がありました。
また踏絵は当初はキリストやマリアが描かれた紙を使って用いられていたものの、多くの人が踏んでいたこともあって損傷が激しく、途中から信徒から没収した約10センチ×約20センチ程度の礼拝用のメダイ(メダルのようなもの)を板にはめ込んだ板踏絵が主流になりました。
しかしそれも何度も踏まれ続けたことによって絵が削れていき、徐々にただの板になってしまいました。
そこで幕府は金属の板にキリスト教のモチーフを彫った真鍮踏絵を作り、これを用いて絵踏みを行いました。
なお真鍮踏絵は製作者がキリスト教徒ではなかったということもあり、そこに彫られているキリストやマリアはある程度は似ているものの、細部を中心にところどころ省略されています。
その中にはキリスト教の教義において重要な要素もあり、それゆえ隠れキリシタンの中には「こんなのはキリストのまがい物だ」と捉えて、何のちゅうちょもなく真鍮踏絵を踏んだ者も決して少なくはなかったという。