最近いろいろな方と話をしていていると知識量が薄いと感じることが増えてきました。私も物知りではありませんが、興味があるので知ろうとする力はあると思います。ですが、多くの方は知ろうとしなくても勝手に入ってくる、それを読み流して知った気になる、そんな世界にみえるのです。
理由は簡単で、スマホを通じたネット情報が主流となってきたからです。同時に現代人は忙しくなったとされます。ただ、ここが不思議なんです。便利になったのになぜ忙しくなったのか、論理的に説明できる方がいれば教えていただきたいのですが、私の感覚では忙しくなったのではなく、忙しくなった気になっているだけではないかと思うです。つまり、実態としてなにかやることが増えたわけではなく、スマホいじりに忙殺されているだけではないかという仮説です。
さて、忙しいことになっているので当然、書籍は読まなくなります。いや、読まない理由を作ったといってよいでしょう。書店の数も減り続けていますが、なぜか出版社の数は少し増えています。ということは書籍を執筆する人も増えているといえます。では私の周りに数多くいる著書がある方々の話を聞くと概ね「名刺代わりです」と。ご本人たちも売れると思って執筆しているわけではなく、その方々のバイオ(履歴)に「著書〇〇 〇年出版」と書くことで箔がつくわけです。
私どもの会社はカナダの図書館の向け卸し部門があるのですが、これは手間暇がかかります。まず全部任されている選書作業をするわけですが、図書館から新刊のみという条件が付きます。また、国会図書館のような学術的な目的ではなくサーキュレーションといって貸し出し回数での管理ですから納書した書籍が一度も貸し出しがないとお目玉を食らうわけです。すると売れ線の本が主体となります。
選書が終わると日本の書籍取次会社を通じて発注をするのですが、船便出港までにおおむね1か月という時間枠なので3週間ぐらいで書籍を各出版社から集めてもらわねばなりません。実はこれができないのです。大手取次なのに8割程度しか集まらないのです。私どもは新刊だけを発注しているのです。なのになぜそろわないかといえば初版を書店にばらまき、出版社に在庫がないのです。つまり本屋に行けば平積みで入手できるのに仕入れベースでは売り切れになっているという珍妙な状況が生じるのです。
ところが数か月すると平積みの本が出版社に返品されます。そうするとまた発注可能になるのです。この返品率がざっくり1/3です。出版社からすれば重版するかどうかは書店の在庫が本当になくなったと確認できた時だけなのです。