「どうする家康」では、秀吉の朝鮮出兵を懲りもせず、部下に領地を与えたいとか、鶴松を失った悲しみとか、単なる征服欲と結びつけて放送していた。
そこで、ダイヤモンド・オンラインに「【どうする家康】秀吉の朝鮮出兵がそこまで「無謀」ではなかった理由」という記事を書いた。
ここでは、その要旨を紹介するとともに、さらに深掘りしてみよう。
■
大陸進出は、信長も計画していたといわれ、秀吉の思いつきではない。会社に例えるなら「全国展開が一段落ついたので、次は海外進出」というのは、大航海時代なら自然なことである。
初めて海外進出するときには、社内でも消極的な人もいる。慣れない海外進出は失敗も多いし、「海外勤務は給料が上がっても嫌だ」という人も多い。それと同じで、大名でも喜び勇んでという者もいたし、慣れない異国の地に行くのを嫌がる者もいた。
そもそも人間は戦いのない世とか、変化のない世を望むものだろうか? そんなはずないだろう。そもそも日本国家にとってのフロンティアは、大陸か東北であって、振り子のように動いていた。
明治維新後だって、当初は北海道開発に熱心だったが、たかがしれてると見て大陸に矛先は変わった。
そもそも4世紀に成立した日本統一国家の領域は、「畿内から出て、東の方は毛人の五十五国を征し、西の方は衆夷六十六国を征服し、海を渡って北の九十五国を平らげた」とあるように、関東から朝鮮半島南部のすべてであって、それが九州から東北にシフトしたのは平安時代のことだ。そのあたりの経緯は記事に書いてある。