それは1938年5月8日の日曜日、くしくも母の日であった――。ウェスト家の父シャーリー、母セシリア、11歳のドロシア、7歳のアラン、4歳のマージョリーは、米国ペンシルベニア州の小さな街ブラッドフォードにある教会に礼拝した。
■4歳の赤毛少女の失踪、そして捜索
礼拝の後、一家は家族ぐるみで親しいエーカリン夫妻とピクニックをする計画をしており、近くのアレゲーニーの森に向かった。家族は母の日のピクニックを楽しみ、午後3時ごろ、母セシリアは少し休憩しようと車に向かった。夫のシャーリーは、友人のロイドと釣りの準備をしていた。女の子たち、ドロシアとマージョリーは、花を摘みに行きたいと言うので、父親は石の下に潜むガラガラヘビに気を付けるようにと忠告した。
女の子たちは母にあげるスミレの花束を作り、姉のドロシアは車で休んでいる母親に花束を届けた。そしてドロシアが振り返った時、マージョリーは居なくなっていた。家族は近隣の町・ケーンの警察に連絡するために、11キロ離れた最寄りの電話まで車を走らせた。
当初、家族はマージョリーは森に入って迷子になり、通行人によって発見されて近くの町で保護されているはずと考えていた。しかし、それが現実でないことが判明した時、数百人(後に数千人)の人々がマージョリーの捜索を始めた。これには、ペンシルベニア州西部の油田から集められた労働者数百人、民間人レンジャー、ペンシルバニア州警察、同州とニューヨーク州の警察から連れてこられた警察犬、国家警備隊兵士、飛行機によるボランティアさえ含まれていた。
人々の草の根を分けるような捜索も報われず、マージョリーは見つからなかった。4歳の赤毛の少女は忽然と消滅してしまった。
今日まで、マージョリー失踪事件はNCMEC(行方不明および搾取された子どもたちのための全米センター)によって記録されている最も古い未解決事件の1つである。マージョリー失踪事件の6年前にはかの有名な「リンドバーグ愛児誘拐事件」が起きているが、マージョリー捜索はそれに次ぐ大きな事件になった。