46,000日って126年。人の一生をはるかに超える日数の御利益があるのですから行かないわけにはいかないですよね。写真のように祈願されたとうきびを掲げることで家に悪いものが入ってこないご利益があるといいます。とうきびなのは実が多く子孫繁栄、商売繁盛につながるとされているからです。

さて、ひがし茶屋街を離れて浅野川を渡ります。この日は朝に大雨が降ったため川は濁り流れも速くなっていました。川沿いにあるのは主計(かずえ)町の茶屋街。ひがし茶屋街とともに重要伝統的建造物群保存地区となっています。

川沿いから一本内側に入った路地を歩きます。ベンガラ色の料亭が軒を連ねます。お土産物屋が多くいつも観光客で賑わっているひがし茶屋街に対しこちらは静かな環境。観光客がいないわけではないですが、金沢の茶屋街の雰囲気をしっぽりと楽しみたいならこちらのほうがおススメです。

日本の町屋の特徴である木虫籠(きむずこ)と呼ばれる窓格子を眺めつつ町を歩きます。防災のほか仄かな明りをとるのに最適だったため広まった虫籠窓ですが、整った縦格子はデザイン的にも優れていると感じます。

道を折れ、料亭を抜けた先に尾張町方面に登っていく坂があります。こちらの坂は「あかり坂」。暗い夜の中に明かりを灯すような美しい作品を書いた泉鏡花を偲び、五木寛之氏によってこの名がつけられました。泉鏡花はこの地に所縁が深く「義血侠血」「照葉狂言」などの作品中に主計町を中心とした金沢の情景が登場しています。

坂(階段)の上より茶屋町見下ろす。

坂(階段ですが)といえば、もうひとつこちらにも尾張町方面に続く坂があります。あかり坂に対してこちらは「暗がり坂」。近年になって名のついた「あかり坂」とは異なりこちらは古くからこの名があります。

久保市乙剣神社から坂を下って花街に抜けるこの道は男たちや芸子連れの者たちが人の目に触れぬようにここを下っていったと言われています。闇夜を抜けて俗の世界に向かう坂として、いつしかここを暗がり坂と呼ぶようになりました。21世紀に入り観光地化されたためここも多くの観光客が通り抜けていきますが、やはりどこか光の当たる表通りとは一線を画した裏道の雰囲気を漂わせています。