【概要】

1864年、動物学者のフィリップ・スクレーターは、世界を6つの生物地理的領域に分ける試みを行う上で、マダガスカルとインドを結んでいた広大な陸地「レムリア」を構想した。レムリアの実在はプレートテクトニクスによって反駁されたが、150年の紆余曲折を経て、神秘主義やタミル民族主義に取り入れられていき、今もオカルトの分野ではレムリアの実在を信じる人々がいる。

【詳細】

意外なことに動物学者によってその存在が指摘された幻の超古代大陸「レムリア」は本当に実在していたのか――。

キツネザルの楽園!? レムリア大陸とは

一部の人々にとっては今も実在する幻の大陸があるという。

それは高度に先進的な超古代文明を復活させるための神聖な知恵の数々を有する大陸「レムリア」だ。

1864年、動物学者のフィリップ・スクレーターは、世界を6つの生物地理的領域に分ける試みを行ったのだが、その生物圏にぴったり当てはまらない小さな霊長類が1匹いた。

彼はマダガスカル(アフリカ熱帯雨林地域)とインド(マラヤ連邦)の両方でキツネザルの化石を発見したが、2つの場所はまったく別の生物圏に属していたのだ。

同じキツネザルがマダガスカルとインドに生息する理由を説明するために、かつてマダガスカルとインドを結んでいた広大な陸地を提案した。そして彼は現在のインド洋に沈んでしまった仮想の大陸にキツネザルを意味する「レムリア」という名前を付けたのである。

幻の超古代大陸「レムリア」とは? 歴史教科書にも記載されたインド洋に沈んだ大陸は実在するのか!?
(画像=画像は「Wikipedia」より、『TOCANA』より引用)

1870年、ドイツの生物学者エルンスト・ヘッケルは、初期人類の化石記録における追跡の途絶である「ミッシング・リンク」を説明する方法として、レムリアが人類の祖先の故郷である可能性があると示唆した。人類の起源がアフリカであるというダーウィンの仮説を否定し当初は人類の発祥の地としてインドを支持していたヘッケルだったが、後にそれはレムリアであったと修正したのだ。

1880年代、神智学の創始者でるヘレナ・ブラヴァツキーがレムリアを難解なニューエイジの原始的な信念体系に統合したことで、レムリアは科学的仮説から疑似科学的分野へと変貌を遂げてしまった。ヘッケルの理論に基づいて彼女はレムリア人が人類の3番目の「根源人種」であると提案した。

またイギリスの神智学者ウィリアム・スコット=エリオットは著書『The Lost Lemuria(失われたレムリア)』(1904年刊)の中で、レムリアを太平洋に位置づけ、レムリア人は身長4.5メートル、褐色の肌、平たい顔、鳥のような横開き目を持っていると描写した。彼らは人間と同じように二足歩行をするが卵で繁殖し、動物との交雑により最終的には人類の進化系統の一部に猿のような祖先が誕生したというのだ。

このエリオットの影響を受けたジェームズ・チャーチワードは著書『The Lost Continent of Mu(失われたムー大陸)』(1926年)とその後の著書の中で、レムリアの失われた大陸と文明の神話を再利用し、その名前を「ムー」と改名して太平洋に配置した。つまりレムリアは“ムー大陸”の元ネタであったことになる。

一方でインドでは、レムリアは一部のタミル民族主義者や神秘主義者によって、15世紀のタミル文学で初めて言及された伝説の沈没地である「クマリカンダム」の地として採用し、タミル復興主義者たちはレムリアをこの古代タミル文明の発祥地であると見なしたのだ。クマリカンダムは、古代インドの文献の中で言及されている「海に失われた南インドの土地」である。

想像力はさらに膨らむ。フレデリック・スペンス・オリバーの1894年の著書『A Dweller on Two Planets(二つの惑星の住人)』をはじめとする物語の中では、米カリフォルニア北部のシャスタ山は沈没したレムリアの生存者たちの最後の避難所であり、彼らはテロスと呼ばれる宝石がちりばめられた地下都市に住んでいたと描写されている。

より突飛なス―トーリーでは、沈没したレムリアの生存者は海に向かい、クジラ、イルカ、人魚になったという説もあるようだ。この説によれば、一部のレムリア人がキツネザルに変身したのかもしれない。

幻の超古代大陸「レムリア」とは? 歴史教科書にも記載されたインド洋に沈んだ大陸は実在するのか!?
(画像=画像は「Pixabay」より、『TOCANA』より引用)