1980年代から「おしゃれな街」として、その名を全国に轟かせてきた東京・代官山。東急東横線で渋谷駅からひと駅という立地に高感度なショップが立ち並び、それを求めた若者たちが連日押し寄せるなど、さまざまなブームの発信地となってきた。しかし、近年は集客力が衰え、駅周辺には空きテナントが目立ってきているという。SNS上では代官山駅前が廃墟のようになっているという声もみられるが、代官山の街としての勢い低迷の背景について、専門家の見解も交えて追ってみたい。
高級でおしゃれなアパレル店や雑貨店などが狭いエリアに密集している代官山。90年代には雑誌などで特集されることが増え、ドラマや映画のロケ地としてもよく使われるなど、全国的な知名度を獲得。2000年代に入ると、カフェブームに乗り、個性的な店舗やレストランが次々とオープン。11年には、蔦屋書店を中核とした生活提案型商業施設『代官山T-SITE』が開業。文化的にも広がりをみせ、さらにニューファミリー向けの高級ベビー用品店やペットショップなども増加するなど、時代に合わせてそのイメージを高めてきた。
そんな代官山が、なぜ衰退してしまったのか。不動産事業プロデューサーであり、オラガ総研株式会社代表の牧野知弘氏はいう。
「代官山といえば、ファッション系のセレクトショップなど非常に高感度なお店が並んでいるというイメージだったと思いますが、現在はその面影はありません。とりわけ、アパレルの路面店は見る影もなく、『ForRent』の看板を出しても長きにわたってテナントが埋まらないという状況がここ数年目立つようになっています。バブルの頃の代官山を知るシニア世代から見ると、信じられないような光景が広がっています」(牧野氏)
ローカル駅化した代官山駅
このような衰退の兆候は、10年ほど前から見られたという。
「10年前の2013年に、東急東横線が副都心線とつながり、代官山駅が半地下化するという、非常に大きな出来事がありましたが、私はこの影響が大きいと思っています」(同氏)
東横線と副都心線との相互乗り入れにより、横浜から渋谷、池袋、そして東武東上線、西武池袋線まで1本でつながった。埼玉方面からでもアクセスが容易になったことで、代官山駅の集客は増えると予想された。
「実際にはまったく違う結果になっています。埼玉方面から代官山に来る人があまりいなかったことに加え、従来の客層も離れてしまったんです。これは、直通運転により、東横線の渋谷が終着駅でなく、1つの通過駅になってしまったことが影響していると考えます。そして代官山は、そのひとつ手前にある、各駅停車以外は止まらないローカル駅という位置づけになってしまったのです」(同氏)
これまでは多摩地区や、世田谷区などの東急沿線に住むハイソサエティな人々が代官山のショッピングを楽しんでいたが、この層が代官山を文字通り「通過」するようになってしまったのだ。
「2011年11月にT-SITEがオープンして、現在も賑わっています。しかし、この施設で本を読んで、スターバックスでコーヒーを飲んでいる人たちは、 旧来の代官山を楽しんでいた客層とはちょっと違うという印象です。代官山のブランド力とは関係なく、蔦屋書店に集まってきているだけなんです」(同氏)
この層は、T-SITEで用件を済ませてしまうので、街なかのカフェに行かず、服も買わない。駅周辺を素通りしてしまうのだ。
「これは、日本人のライフスタイルの変化もあると思います。代官山には個性的なブランドやセレクトショップが多く、店員さんと会話をしながら、ちょっと高級で、いい洋服を見つけるのが楽しかったわけです。でも、そんなショッピングスタイルは廃れ、ユニクロのようなファストファッションで十分という人が増えました。インテリアや雑貨も同じで、他人が持ってないような家具や装飾品がオシャレという感覚があったのが、今はIKEAやニトリで充分。そもそも、お店を1つひとつ回るほどの時間的ゆとりもないし、街を歩くのも面倒くさい。すべてが1カ所に集約されている、ららぽーとで十分なわけです。いわゆる大企業のエリートサラリーマンでも、このような生活を送っている。代官山が持っていた特徴に対する需要がないんです」(同)