ハードとソフト

さらに別の言い方をすると、文明はハードウェア的なもの、文化はソフトウェア的なものといえるかと思います。例えば、私たちが数十年前まで使っていたラジオ、レコード(蓄音機)、有線電話は廃れ、今や完全にテレビ、パソコン、CD、スマホ(携帯電話)に取って替わられ、音質も画質も飛躍的に進歩しています。

しかし、その最新型テレビで日常的に流れてくる情報や娯楽番組のレベルとなると、全く進歩していないどころか退化しているのが現実ではないでしょうか。はっきり言って、大半が低俗で、とても文化的とは言えないようなものが氾濫しています。昔のラジオ、レコードやテレビ(モノクロ)は、ハードウェアとしてはお粗末でしたが、中身的には遥かに上質だったと思います。映画やテレビドラマにしても、昔のものはストーリー的には単純(ナイーブ)でしたが、立派な内容のものが多かったように思います。

それに比べ、最近の状況はどうか。たとえば電車や地下鉄に乗った時など、若い乗客のほとんどが一心不乱にスマホをやっているので、相手に気づかれないようにそれとなく覗いてみると、大抵ゲームかそれに似たようことをやっているようです。

単なる時間つぶしで、他人に迷惑をかけていないのだからよいではないかと言われればそれまでですが、それにしても大変な時間と知的エネルギーの浪費ではないかと思ってしまいます。もっとも、これは、私のようなアナログ人間の偏見、僻みだと言われれば、そうかもしれませんし、車内で文庫本を読んでいれば文化的で教養があり、ゲームばかりやっていれば低俗、堕落と決めつけるつもりはありませんが。

とくにひどい政治家の劣化

いずれにせよ、一世代以上前の日本人に比べると現在の日本人(中高年者を含む)が総じて“平和ボケ”していて、覇気に乏しく、人間的に劣化しているような気がするのは確かで、私のような化石人間的な高齢者としては、こんなことで将来の日本はどうなるのか、他国に伍していけるのか、憂慮に堪えないところ。このことは、とくに日本の政治家の質について言えるのではないかと思います。

大分昔のことですが、私が数年ぶりに海外勤務から帰ってきて、テレビで政治家が喋っているのを聞いていて、ひどく気に障った言葉があります。それは「何々させていただく」という言葉使いです。

例えば、「私が大臣をさせていただいた時に、何々の政策を決定させていただいた」という風な言い方です。誰が最初にこの表現を使い出したか判然としませんが、どうやら「言語明瞭、意味不明」と評された竹下登氏(元首相)などが国会で多用したのが始まりではないか。

なぜもっとはっきり、自信をもって「私が大臣をしていた時に、何々の決定をした」と言わないのか。今では、この表現は政治家だけでなく広く一般的に使われています。ご本人たちは謙虚な、卑下した気持ちで言っているのかも知れませんが、いかにも責任逃れか、大衆迎合的で、不愉快に感ずるのは私だけでしょうか。

ついでに言わせてもらえば、不祥事があった時に、大企業のトップがテレビ会見で、雁首揃え深々と頭を下げて謝罪するのも見ていて気持ちのよいものではありません。本当に謝罪する気持ちがあるのなら、責任をとって潔く辞職するのが筋です。

テレビカメラの前で、不特定多数の人々に対し頭を下げるというこの珍妙な風習は昔は無かったはずだし、日本以外の国では見られないことで、知り合いの外国人に訊くと彼らも大いに違和感を感じるそうです。これもまた日本人の劣化の一例ではないでしょうか。

日本語の乱れは日本文化の劣化

ついでにこの際、もう一つ気になる日本語の用法について。よく若い人たちの会話の中で「・・・とか・・・とか」というのを耳にします。例えば「本とかを読む」、「散歩とかに行く」というように。

これもはっきり断定するより適当にぼかした方が無難だという日本人特有の感性のせいなのでしょうが、昔は無かったことで、これも日本語の劣化の一種であると同時に、日本人の精神的劣化をも示すものではないかと思います。

最近の意味不明のカタカナ文字(「タイパ」、「コスパ」、「ステマ」等々)の氾濫や会社名をアルファベット3文字で表記する傾向などについては、「劣化」以前の問題で、嘆かわしい限り。正しい日本語で表現しようと努力する姿勢が決定的に欠如しているとしか思えませんが、母国語を大事にしない民族は早晩滅びるという警句があることはご存じの通りです。

民主主義と政治家の品質

さて、話を本筋に戻して、日本人は本当に劣化したのか。劣化したとしてそれをどうやって食い止め、是正、改善していくかです。これはもちろん非常に難しい問題で、簡単に解答できるわけがありませんが、あえて一言で言えば、やはり最終的には教育によって解決していく以外にないでしょう。とくに初等教育でしっかり対処してもらいたいし、家庭教育も大事であり、それらを担う先生や親自身も変わっていかなければ解決は期待できないでしょう。

ウィンストン・チャーチルWikipediaより

また、先ほど政治家が特に劣化していると言いましたが、そのような政治家を国会議員に選んだのは一般国民です。今時の政治家は総じて政策より政局に関心があり、何よりも次の選挙対策で頭が一杯。当選するためには、民意に逆らうより、民意に迎合する方が得策と考えているようです。

そうであるならば、政治家の品質を改善するには、迂遠なようですが、まず民意の向上こそが必要です。現在一部の強権国家を除き、大多数の国で民主主義制度が採用されており、多少の違いはあるものの、その基本は選挙です。

かつてチャーチルは「民主主義は最低の制度だ。ただし、それ以外のすべての政治体制を除いてだが」と喝破しましたが、民主主義を生かすも殺すも有権者である国民だということを再認識せねばなりません。

日本人よ 早く覚醒せよ

最後に、やや蛇足めきますが、私は決して日本の将来を悲観しているわけでも、現代の日本人(若い人を含む)が他国との比較で本質的に劣化していると考えているわけでもありません。仮に多少劣化してきているとしても、いずれどこかで覚醒し踏みとどまって、再び日本民族の底力を発揮してくれるだろうと信じています。

ただ、日本がアジアで唯一の先進国であった私たちの現役時代と違って、ライバルとの競争の激しい現代世界においては、あまり長い昼寝は禁物だと考えております。

(2024年1月29日付東愛知新聞 令和つれづれ草より転載)

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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