エイリアン・アブダクション説も登場
時代は東西冷戦真っ只中であり、特に軍事に関係する情報にはナーバスにならざるを得ない状況にあった。機体の残骸は研究のためにビンブルックに運ばれた後、イギリス空軍調査委員会によって調査が開始されたが、事件は極秘にされ捜査は秘密裏に行われた。
イギリス空軍が極秘の捜査を行いたかったのは理解できるが、事件の奇妙な性質と捜査結果が国民やシャフナーの家族からも遠ざけられていたため、さまざまな噂や“陰謀論”が囁かれはじめた。シャフナーはUFOによって誘拐されたのだとする説、つまりエイリアン・アブダクション説も登場していた。
謎に包まれたままのBACライトニング墜落事件だったが、ソ連崩壊後の1992年10月、ジャーナリストのパット・オッターが「グリムズビー・テレグラフ」紙で発表した一連の記事で事件が再び注目されることになった。
オッターの匿名情報筋によると、当時のイギリス空軍は北海エリアでUFO(未確認飛行物体)が増加していることを認めていたという。そしてこの空域で飛行中にUFOを目撃したイギリス空軍のパイロットの証言も入手して紹介している。
パイロットによれば、UFOは円錐形あるいは透明な球体のような姿でマッハ2以上で飛行し、近づくとコクピット内の計器類を誤作動させるという。とすればシャフナーの機体も機器の誤作動によって墜落したのだろうか。
1994年までにはより多くの新聞がUFO目撃疑惑の記事を取り上げるようになり、オッターの記事はさまざまなUFO研究団体によって支持され、その記事はUFO目撃と陰謀論を専門とする新興のインターネットフォーラム全体にも広がっていった。
機密文書が公開される
2002年、シャフナーの息子であるマイクとグレンはイギリス国防省に対し、この事件に関するファイルの機密を解除し実際に何が起こったのかを明らかにするよう公的に訴えた。
2008年、ロンドンの国立公文書館は最終的にシャフナーの事件の詳細を記したいくつかの機密文書と写真を公開した。記録にはUFOについては言及されておらず、シャフナーが追跡していた航空機への言及と、その速度と方角についての報告のみが記されていた。つまりシャフナーが追跡したのはUFOではなく、既存の航空機であったのだ。
またコックピットのキャノピーが閉じていたのは、海底の冷水の中で油圧オイルが圧縮された結果である可能性が高いことが示唆されることになった。
捜査当局はまた、シャフナーのBACライトニングが嵐の中の暗い海の上空を飛行中にレーダーから消えたのは、シャフナーが「空間識失調」によって操縦が乱れて墜落した可能性があることを指摘した。この見解はシャフナーの息子たちによっても支持されたという。
同じ頃、イギリス空軍の退役した飛行隊リーダーが名乗り出て、自分はその夜飛行した哨戒機のアブロ・シャクルトンを操縦していたことを明かし、そしてシャフナーが追いかけていた謎の飛行物体はUFOではなくこの哨戒機だったと打ち明けたのだ。
彼にによればシャフナーのスクランブル発進は、NATO基地での迎撃機の反応時間をテストするために設計された極秘の戦術評価演習の一環であったという。
これらの演習はイギリス空軍とNATOの航空機が意図的に敵機役で派遣され、迎撃機がどれだけ早くスクランブル発進して追跡体勢に入ることができるのかが試されるという、いわば“抜き打ちテスト”であったのだ。冷戦時代ならではの緊張感を伴う訓練が“実戦形式”で随時行われており、この演習中にシャフナーは空間識失調によって墜落したと考えるのが最も説明がつくののである。しかしシャフナーの遺体は本当に見つけることができなかったようだ。
こうして機密文書の公開により、何が起こったのかについての最も説得力のありそうな説明が提供されたが、一部のUFO愛好家は引き続き調査結果が述べている以上のことが起こったと信じているようだ。
たとえばUFO研究家のラッセル・ケレット氏はこの海域の海底にエイリアンの秘密基地があることを示唆している。また円錐型や透明な球体のUFOが空軍パイロットによって目撃されていることも軽視できないだろう。“一件落着”と胸を撫でおろすのはまだ早いのかもしれない。
参考:「PlaneHistoria」ほか
文=仲田しんじ
提供元・TOCANA
【関連記事】
・初心者が投資を始めるなら、何がおすすめ?
・航空機から撮影された「UFO動画」が公開される! “フェニックスの光”に似た奇妙な4つの発光体
・有名百貨店・デパートどこの株主優待がおすすめ?
・ネッシーは巨大ウナギではない! 統計的調査結果から数学者が正体を予測
・積立NISAで月1万円を投資した場合の利益はいくらになる?