さらに南下し、ウォール街にある「キュナード・ビルディング(25 Broadway)」には、ベルギー出身のウラン商人、エドガー・サンジエ氏の会社がオフィスを構えていた。民間人でありながら早くからウランの可能性を知っていたサンジエ氏は、コンゴで採掘した高純度のウラン鉱石1,200トンを、スタテン島とニュージャージー州を結ぶベイヨン橋の影に保管させていた。グローブス将軍はプロジェクト初日に助手を派遣して、1ポンドあたり1ドル、250万ドルですべて買い上げたという。
プロジェクトの進行に伴い、司令部は翌年にテネシー州オークリッジに移された。
ちなみにオッペンハイマー博士は、アッパーウエストサイドのハドソン川沿いに建つアパート(155 Riverside Drive)の11階の部屋で幼少期を過ごした。室内にはピカソやレンブラント、ルノワール、ゴッホ、セザンヌのオリジナル作品が飾られ、母親は幼いオッペンハイマーに絵を描くことを勧めたという。
広島と長崎への原爆投下へとつながったマンハッタン計画では、20億ドルが費やされ、ピーク時で13万人が働いていた。これほどの巨大プロジェクトでありながら、国民はおろか議会にも知られず、内部で働く者にさえ目的を悟られずに進められたという。
今年のアカデミー賞で映画『オッペンハイマー』は、作品賞や監督賞など最多13部門にノミネートを果たしている。授賞式は3月10日。