Woolworth Building

米国で最初の原子力爆弾の開発を成功に導いた物理学者ロバート・オッペンハイマーの半生を描いた映画『オッペンハイマー』では、ニューメキシコ州ロスアラモスの研究施設で開発が進められる過程と、その後に共産主義との関係を疑われ、米原子力委員会から審問を受ける様子が、交互に描かれる。

核爆弾開発のプロジェクト名は「マンハッタン・エンジニア・ディストリクト」または「マンハッタン計画」と呼ばれ、ロスアラモスのほか、ワシントン州ハンフォード、テネシー州オークリッジの施設で主要な研究開発が進められた。

マンハッタンがプロジェクト名に採用された理由について、原子遺産財団は、1942年にプロジェクトが発足した際、最初のオフィスが設けられたのがニューヨークの市庁舎近くにあるビルで、その都市を名称とする陸軍工兵隊の慣例に従って名付けられたのだと説明している。

270 Broadway
270 Broadway©MashupReporter

歴史家のロバート・S・ノリス氏がニューヨークタイムズに紹介したところでは、建物(270 Broadway)には当時、陸軍工兵隊の北大西洋師団が入っており、原爆製造の任務を負ったことを受け、18階に司令部が設置された。「代替材料開発研究所」といった候補もあったが、プロジェクトの責任者だったレスリー・グローブス将軍は、不必要な注目を集めることを懸念し、標準的な名に落ち着いたのだという。

Woolworth Building
Woolworth Building ©MashupReporter

そこから数ブロック南下した地点にあるネオゴシック建築の高層ビル「ウールワース・ビル(233 Broadway)」では、ウランの同位体を濃縮する方法を開発したフロント企業が入り、全米屈指の優秀な科学者らが働いていた。当時は3,700人が働き、この中には、後にソビエト連邦のスパイとして有罪判決を受けるクラウス・フックスもいたという。