ベテランスタッフを雇止めしたことで生じたデメリット
3時間の予備交渉を2回経て行われた団体交渉では、Yさんたちの雇止めを撤回させることはできなかった。都合9時間の交渉でも、市教委は頑なな姿勢を崩さなかったのだ。
退職後に雇用保険すらロクにもらえないことを知ったYさんは、仕方なく、4月からは他の仕事に就いたが、その結果、司書という仕事を奪われただけでなく、収入は3分の1に激減した。
雇止めを通告された後、精神的ショックで体調を崩したYさんは、2月に産業医からドクターストップがかかったにもかかわらず、狭山市の会計年度任用職員は病休も無給になるため、生活への不安から、医師からの報告は経過観察にとどめてもらったという。任期まで残りの期間、外部と約束していていた出前授業や講師の仕事を放りだすわけにはいかず、最後までこなしたという。
一方で、Yさんたちベテラン職員がいなくなった図書館は、公募の結果、市外からも多数応募があり、司書も含めて必要な人員は確保されたという。それは、全国的にも珍しいフルタイム勤務できる職だったからだ。
司書の募集は、専業主婦が家計補助的に従事することが想定されているためなのか、週3~4日、短時間勤務する募集が圧倒的に多い。時給もほぼ最低賃金なのが世間の通り相場だ。そうしたなか狭山市の募集は、フルタイムの週5日勤務で月給22万円という、図書館の募集では珍しく好条件だったため、市内外からの応募が殺到したのだという。
だが、その好条件は、何もせずに与えられたものではなかった。
「月給22万円は、3年前に私たちが市当局と交渉してようやく勝ち取ったものなんです。それまで17年間は最低賃金上昇時に少しづつ上がりながらも、週5日勤務で手取り14~15万円で、任用の最初のころは交通費すら出なかったんです。その頃は半休も忌引もない。もちろん退職金もない。なのに60歳定年。それをひとつずつ交渉で改善してもらって、ようやく勝ちとったものだったんです」
このように語るYさんの言葉には、自然と悔しさが滲み出る。
図書館は人手さえ集まればつつがなく運営できるわけではない。実際に、ベテランの司書がいなくなったことで、現場は大混乱した。おまけに今回の公募にかかわった館長をはじめたとした正規職員4名もゴッソリ入れ替えされたため、新任の職員は、図書館の経験不足。通常業務にも支障をきたしかねない状況だったのは想像にかたくない。
今回の雇止めによる、市民にとっての大きな損失は、それまでベテランの司書がコツコツと積み上げてきた、子どもたちへの読書支援サービスが大きく棄損されたことだろう。
「児童奉仕は、10年くらい続けないと見通しが立たない、完全な専門職なんです。数年で入れ替わる正規職員だけでは担えない部分を、われわれが引き受けてきたんです」(Yさん)
地元の小中学校や保護者と連携した各種イベントだけでなく、図書館ボランティアの研修、学童指導員の研修、家庭教育学級の講師なども引き受けてきたという。
「ここ数年、子どもたちが本を読めなくなっていることを、現場の皮膚感覚で感じていました。多くの児童が、物語の本を読めなくなっています。これは深刻な事態だと思い、コロナ禍に入る直前、家庭教育学級で保護者の方へ、司書の立場から直接お話しさせてもらう機会を増やしたいと図書館長に訴えました。そして今年2月にようやく実現し、手ごたえを感じました。また、地域で子どもと本をつなぐ担い手になる人材の育成に、長年取り組んできたんです。それが3月末でできなくなりました。読み聞かせの講師も16年間続けてきましたが、それも今年で終わりました」
こうしたベテラン司書による地元に密着した図書館のサービスの成果は、目に見えないだけに、市長や行政サイドが教育や文化の育成に著しく無理解だと、いとも簡単に切られてしまう。狭山市教委のようにベテランの雇止めが行われると、図書館の児童サービスの質が落ちてしまっていることすら市民は気づかない。
その意味で、会計年度任用制度による理不尽な雇止めによる最大の被害者は、せっかく長年積み上げてきた図書館の児童サービスの体制が大きく後退した市民ではないのか。
公共施設で非正規公務員が増えた背景
自治労連・埼玉本部の書記長は、非正規公務員が増えた背景について、こう解説する。
「本来、正規職員が市民サービスの基幹業務を担い、季節的・臨時的・補助的に助っ人が必要な部分のみ、非正規スタッフが担うものとされてきました。たとえば、確定申告シーズンのみ混雑する窓口対応や煩雑な事務作業をサポートするのが、本来の非正規スタッフです。
それがいつのまにか、基幹業務をも非正規の職員が担うようになりました。恒常的な業務のために、業務そのものが期間限定とはいかないのに、無理やり短期雇用を反復的に繰り返す脱法的な運用が当たり前のように行われることになったんです」。
その結果、69万人まで膨れ上がった非正規公務員に関する法規制は、いびつな状態に据え置かれ、ときには直営の公共施設スタッフのほうが民間よりもブラックではないかと指摘されるほど、深刻な事態に見舞われている。
かつて「役所の仕事なら、非正規でも、待遇は悪くなく、民間みたいに違法行為を平気で犯すことがないので安心」と思われてきたが、会計年度任用制度が導入されて以来、その常識は通用しなくなっている。
Yさんのように、もし民間企業で有期雇用を何度も繰り返した場合、労働者側に、今年も契約が更新されるものと期待する権利(期待権)が生じるとされて、契約更新にあたっては、正社員と同じく正当な理由がなければ解雇は無効とされる(労働契約法19条)。
また、5年勤務すれば、無期雇用への転換を申し込むことができる(労働契約法第18条)。いずれも強力な法規制のため、もし民間ならば、訴訟を提起すれば、かなり高い確率で労働者サイドが勝つだろう。
しかし、「任用」とされる公務員は、そうした労働法が適用されないのだ(ただし損害賠償を自治体に請求する訴訟は可能で、それが認められた判決もある)。
会計年度任用は、最初から1年ごとの契約であることを承知のうえで応募しているはずなのに、切られたからといって文句を言うほうがおかしいという意見がSNSで流れているが、おかしいどころか、もし民間企業でYさんのように22年も反復継続されていたなら、労働契約法違反として、裁判所は雇止めを無効とする判決を下すような事案である。
公務員は、もともと民間よりも手厚い待遇が得られるという前提のもとに、「任用」は労働法が適用されないとされてきた。その前提条件が大きく崩れてしまった以上、非正規公務員の待遇が見直されない限り、住民サービスの劣化は止まらないだろう。
ベテラン司書を切った狭山市の視野にあるのは、老朽化した図書館の建て替えではないかと囁かれている。将来的に、おしゃれなカフェと子供向けの絵本が大量に取り揃えられた素晴らしいハコモノができるかもしれないが、その運営も民間に丸投げすれば、Yさんたちベテラン司書が時間をかけて培ってきた、児童サービスのソフト面での中身が問われることはまずなく、空虚な賑わい創出だけをありがたがる風潮がますます蔓延するだろう。
2022年に東京・杉並区長に当選した岸本聡子氏は、「区立施設と区の職員はコストではなく、財産です」と述べて、多くの市民から喝采を浴びた。
コスト削減と運営の効率化が急務とされ、公務を担うスタッフの非正規化が急速に進められてきたなかで、目に見えない市民サービスがどれだけ劣化したのかを、われわれは知るすべを持たなかったが、会計年度任用制度というおかしな制度が、改めてそのことを、われわれに知らしめてくれているといえるのではないだろうか。
(文=日向咲嗣/ジャーナリスト)
提供元・Business Journal
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