では、普通の風邪は?

実は普通の風邪は、この中に入っていません。

というのも、旧型コロナウイルスやライノウイルス、アデノウイルス、RSウイルス、溶連菌など普通に「風邪」と言われるようなウイルスや細菌はたくさんあるのですが、そのようなウイルスや細菌はエボラなどとは違って軽微な風邪症状を呈する程度なので、感染症の分類にも入らない、「無類」の感染症なのです。

出典:戸田ファミリア耳鼻咽喉科

社会の対応としては、1類感染症が発見されたら流石に全例入院で隔離とか、消毒・交通規制まで可能と、非常に強力なものとなっています。

で、5類のインフルエンザまで下ると全くそこまでなくて、定点医療機関での感染発生動向調査程度。地域の中で決められた一部の病院が、「その日は何人インフルエンザ患者が来たよ」という報告を毎日国に上げていく、それだけです。患者さん側は特に何もすることはありません。

その程度だったら、普通の風邪も5類に格上げしたって別にいいんじゃないの?

と思われるかもしれません。

しかし、これは全くその程度の軽いものではないのです。

以下、それについて解説していきます。

世界の状況

というのも、世界は全く違う方向へ動いているからです。

新型コロナのパンデミックで、世界の国々はロックダウンやマスクの強制など、人権を侵害するような強制措置を取ってきました。

しかし、世界の人々は今、それが本当に必要だったのか、人権を侵害するほどまでのことだったのかについて振り返り、検証しています。

米国のファウチ氏は、日本における尾見さんの位置に当たるような人です。彼は先日アメリカの国会・下院公聴会に呼ばれ、共和党女性議員マージョリー・グリーンから、「あなたのことを博士だとは認めない」「博士号は剥奪されるべきだ」さらに「あなたは投獄されるべきだ」と強烈に非難・糾弾されました。

このことはニューヨーク・タイムズ紙などでも大々的に報じられ、批判が展開されています。

また、WHOのパンデミック条約(次回パンデミックが発生したときにWHOが加盟各国に対してワクチンや感染対策などに対する権限を強化する条約)も、各国から「そんな条約いらない」という反対意見が多く出て、結局合意に至らず「交渉延期」となっています。

パリ五輪の会場や大谷選手のメジャーリーグの試合を見ても、観客は誰もマスクをしていません。

つまり、世界は今回のコロナ騒動はとっくに「終わり」にしていて、感染症に神経質になることをやめ、逆に当時のことをしっかり反省するモードに入っているということです。

日本の状況

では、日本ではどうでしょう?

大手メディアの報道を見る限り、そのような「当時を振り返りしっかり検証する」ような報道は全く見当たりません。

尾見氏への批判の言葉も全くありません(尾見氏は講演で自らの業績を誇らしげに語っています)し、コロナを終わらせるどころか、2024年の夏でもまだコロナの恐怖を煽ろうとすらしています。

大阪府医師会、コロナ感染「第11波突入」…免疫効きにくい新変異株が主流に

パリ五輪の映像を見られたら感じると思いますが…日本の街なかの依然マスク率の高い風景とパリでは、まるで別世界のようです。

行政の対応

行政の対応も同じく世界と逆行しています。

世界がマスクを外し、感染症に神経質になることをやめている中、日本政府はパンデミック対策行動計画として、

日常的に誤情報・偽情報(?)を監視してYoutubeやツイッター(現X)の投稿を削除する

という戦時中のような情報統制の計画を発表しました。

そして今回、武見厚生労働大臣が自ら

「普通の風邪(旧型コロナ含む)を5類感染症に格上げする」

と宣言したのです。

つまりこれまで野放しだった「普通の風邪」を国家の監視対象にする、

ということ。

感染症に神経質になることをやめている世界の潮流とは真逆に、感染症の発生に神経を尖らせ、あたかもその呪縛に自ら取り込まれようとしているような方針です。

医療全体主義へ?

このような世界と日本の方向性の違い、下手をするととんでもないことになるかもしれません。

僕は、コロナ禍が始まったばかり、緊急事態宣言真っ只中の2020年の4月にこんなことを書いています。

医療による恐怖は、まるで国民全体を徐々にカゴの中へ誘っているのかのようだ。

もちろん、今は緊急事態だから仕方ないのかもしない。ただ、一旦進んだ時計の針は戻せないのも現実。一度許してしまった権利の制限は、今後様々な形で進んでいくだろう。

もちろん、清らかな医療者は「医療による恐怖で世界を支配する」なんてかけらも思っていない。しかし、コロナパニックは「医療的な恐怖で世界を動かせる」ことをにわかに証明してしまったのだ。

これまで何百年もかけて人類が一つずつ獲得してきた様々な社会的な権利。それらを一時的にとはいえ一気にむしり取るという前代未聞の体験を、いま僕たちは「コロナ」を理由に経験している。医療は、これまで誰も持ち得なかった「国民の人権さえも制限できる巨大な力」を持ってしまったのだ。「命を守る」の殺し文句がこれほど効果を持つとは。。。

この力を利用しようとする勢力は確実に現れるだろう。それが国家なのか巨大資本なのかGAFAなのか、それともその全部なのか。それらが牙を剥いた時、果たして我々医療者はその巨大な力に抵抗できるのだろうか。いや、上手に牙を剥く彼らは、我々医療者が気づかないように…医療者を盾にして国民の目をそむけながら、手を進めるだろう。

そう、医療は感染症に神経を尖らせることで「国民の人権さえも制限出来る巨大な力」を持ってしまったのです。

そして世界はそれを反省し、時計の針を元に戻そうとしているのに、逆に日本は時計の針を進めようとしている…。

今はまだマシなのかもしれません。でも10年後、この真逆の方向性がこのまま変わらず、両者がどんどん乖離していってしまえば、世界と日本の間にはは巨大な世界観の相違が具現化されてしまうかもしれません。

あるべき医療の姿

本来「医療」というものは、過度に人々の生活に介入するべきではないのです。

もちろん、エボラのような強烈なウイルスがやってきたときにはそれも必要かもしれませんが、今回問題になっている「普通の風邪」は本来医療の対象とするべきではないはずです。

日本以外の先進国の人々は、普通の風邪程度では、(たとえインフルエンザでも)ほとんど病院に行きません。もし病院に行ってもほとんど検査せずに、「自宅で寝ていて下さい」と言われるだけです。

その代わり、

「熱が非常に高いとか、ご飯も食べられないとか、脱水症状が激しいとか、そういう緊急事態の予兆があれば医療は本気で対処するのですぐに来て下さいね」

と緊急時の対応を保証をしてくれるのです。

普通の風邪のように基本的に自分の免疫で解決出来るものには敢えて介入せず(そのほうが個人の免疫が強化される)、緊急時の対応は絶対に保証する。これが本来あるべき医療の姿です。

今回政府が出した「普通の風邪も5類感染症に」という方針は、明らかにこれとは真逆の、すべてを国家の管理下に置こうというもので、その意味でも、本来「医療」が目指す方向とは明らかに逆方向に向いていると言っていいでしょう。

パブコメ書こう!

政府は今、この方針に対してパブリックコメントを募集しています。

感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律施行規則の一部を改正する省令案に関する御意見の募集について

政府がパブリックコメントを募集している今が声を上げる最後のチャンスです。

世界標準のように感染症に神経質になることをやめるのか、 感染症に神経を尖らせ、人権を制限する方向に向かうのか…

軌道修正するなら早いほうがいいに決まっています。

つまり、今しかないのです。

前回の「パンデミック対策行動計画」のときは、パブコメが史上最多?の19万集まり、政府筋は肝を冷やしたと聞いています。

今回は20万超えを目指して頑張りましょう!