フランス専門の留学支援サービス「France et moi(フランス・エ・モワ」を運営する梶谷双葉さんは、自分の「好き」を仕事につなげた起業家です。
人生の転機になったのは、定年まで働くつもりだったという保険業界を辞めて行ったフランス留学。この国に魅了された彼女は、今後もフランスに関わる仕事がしたい、留学を志す人たちの力になりたいと自ら会社を立ち上げました。
「自分のキャリアはこのままで良いのか」と就職後に思い悩む若者は多いですが、梶谷さんはどのように留学を決断し、起業するに至ったのか。その軌跡を聞きました。(全2回中2回目)
前編「条件の良い会社を辞めてまで留学した理由 フランス在住の起業家・梶谷双葉さんが「好き」を仕事にするまで【インタビュー前編】」
現地での生活スタート:語学向上の感動
――念願のフランス留学がスタートしたわけですが、フランスは首都パリをはじめ魅力的な街がいっぱいです。留学先の地域はどのように選んだのですか?
留学先はパリから南西に特急列車で1時間ほどにある「トゥール」という街にしました。語学学校は、あえてパリじゃないところに行きたいと考えていました。ワーキングホリデービザで仕事を探す時には、いずれパリに行くと想定していたので、留学ではパリとは違った地方都市での生活を体験したいと思ったためです。
トゥールは、かつてはフランスの首都だった歴史ある場所で、発音もきれいだという点も決め手でした。
トゥールの語学学校に通っていた頃の様子
――実際のフランス生活はいかがでしたか?
最初の半年間は、語学学校に通っていました。私は挨拶と簡単な自己紹介ができる程度で現地へ行ってしまったので、最初の1カ月間は、授業でも日常生活でも飛び交う言葉が全然分からなくて毎日必死でした。
でも、私は割とコミュニケーションが好きなタイプなので、フランス語が何を言っているか分からなくても、表情で怒っているなとかそういう感じで最初はコミュニケーションを取っていました。
あとは、目で見るより耳で覚えることができるタイプなので、授業で聞くことをインプットして実際に使っていきました。2~3カ月経つと、みんなの言っていることが段々わかるようになって友達やホストファミリーとのコミュニケーションが増えて楽しくなりました。
最初は1番下のA1レベルからスタートして、半年が過ぎる頃にはランクが3つ上のB2クラスに進んでいました。自分のフランス語が段々と伸びているのがわかるのが本当に楽しくて、フランスでも生活ができているという手応えを感じました。
留学の1カ月目くらいはやっぱり収入が止まった不安や、このまま貯金を切り崩していく不安が1番強かったけれど、その後はもう「使い切ろうかな」って思い始めていました。
残り半年間は、通っていた語学学校の手伝いをしながら学んだフランス語を使って、フランス各地さまざまな場所を旅して過ごしました。
トゥールに留学中の梶谷さん