だが本書によれば、そうではない可能性が高い。ベトナム戦争中の1965~66年にも、米軍内には機能的な大規模航空基地を辺野古沖に作る計画があり(ヘッダー写真)、当時は72年の沖縄返還より前だから、作ろうと思えば作れたわけだ。しかし巨額の財政支出を伴う点がネックになり、ベトナムでの戦況の悪化もあってナシになったらしい。

論評する著者の筆致は、痛烈だ。

マスタープラン1966が潰えたのは、米国の財政赤字のゆえだった。それを踏まえれば、〔橋本政権下の〕日本が基地建設の費用負担に応じたことに、米国は心から満足したはずである。もしそうであれば、米側としては日本側の機嫌を損ねないように(費用負担に気持ちよく応じてもらえるように)、その後、あらゆる手練手管を弄したとしても不思議ではない。 推論の域を出ないが、たとえば、日米対等の「協議」の場を演出しながら、既定路線である「辺野古」に向かって台本どおりに協議を進めようとした可能性だってある。

『在日米軍基地』212-3頁 (強調は引用者)

2009年から鳩山政権が模索した、普天間の国外移設(候補はグアム・テニアンなど)が早々と頓挫した理由も、同基地が、有事の際にフリーハンドの高い国連軍基地でもある点に着目すれば、きれいに解けるという。

なぜなら、国連軍基地のステータスは国外には持っていけないからだ。国連軍基地の根拠は、あくまでも日本と国連軍参加国のあいだにある国連軍地位協定によって見出される。

224頁

陰謀論のようにアメリカの「悪辣さ」を恨んでもらちが開かないし、著者の本意もそこにはない。むしろ同書から読み取るべきは、二大政党間での政権の交替や、敗北も含めた戦争の繰り返しにも関わらず、冷戦下から続く米国の戦略の驚くべき「一貫性」だろう。

一党優位支配の下でずっと平和を享受しながら、そのときの世相や「空気」で方針がブレまくる国としては、正直ちょっと怖くなる。それは大国であるロシアや中国の「異様な頑なさ」に接した際に、小国の側が感じる不気味さと、たぶんそう遠くないものがあるのだろう。

ベトナム戦争の方はまだ、「学生運動の時代」といった形で振り返られる機会がそこそこあるが、そもそも日本人が朝鮮戦争を丸ごと忘れているのも、戦地のすぐ隣に居たのに奇妙な話だ。

しかしながらよく言われるように、戦争の方は私たちを忘れてくれない。1950年に結成された「国連軍」の体制は、当時は文字どおりに主権のなかったこの国を捕らえて、いまもなお離さない。

P.S. 画期的なテーゼを提案する書籍なのに、誤植が多いのはもったいないと思う。138頁の「社会党の曽祢益」は民社党、228頁の「社民党、国民党と連立」は国民新党の誤記だろう。

特に後者を出版社の校閲が見落としたのは、戦後はおろか、平成すら実在感のない過去になったことをうかがわせ、興味深いとともに少し寂しい。

編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年7月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。