ところがこういうイベントは日本人はおおむね無関心だったのですが案外関心を持ってくれたのがバンクーバーに来たばかりの若い層で日系チームも私を除き全員20代で組成するつもりです。

海外日系コミュニティがなぜ凋落したのでしょうか?これは分かりやすい理由です。昔は日本食もそう簡単に手に入らなかったし、英語環境もあり情報も少なかったのです。だから同じ言語をしゃべる人たちが寄り添うようにして暮らしたのです。コミュニティペーパー(日系の情報紙)は貴重な情報源でした。海外では日本人はマイノリティであってそれゆえにコミュニティの中で自活する必要があったのです。

ところが便利な時代がやってきて、日本食は今やアジア系スーパーのみならず、一般スーパーマーケットでも割と手に入るようになっています。情報は言うまでもなし。となれば寄り添うようにひっそり暮らす、というイメージから個々がそれぞれのライフをエンジョイする時代になったとも言えます。物理的裕福だけでなく、精神面な裕福ともいえるのかもしれません。

これは日系コミュティの接着力が剥離していくようなもので、趣味や何らかの共通のインタレストで一部の日本人が細胞分裂するような形になり、全体としてのコミュニティ力は無くなってしまうのです。考えてみてください。ここに住む人は北海道から沖縄までいろいろな出身のばらばらの人生背景の人たちです。共通点は日本人とか日系人といったブラッドだけ。それだけでは今の世の中、皆が折衷しながら仲良くするというのは困難でコミュニティ脱落者続出ということになるのです。

特に日本人は思想的自由度が高いために性格が合うかどうかで判断しやすくなります。このあたりが海外の日系コミュニティが凋落しやすい特徴ではないかと思います。リトルトーキョーが名ばかりになりつつあるというのはそう考えるとうなずけるのです。

では今日はこのぐらいで。

編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年7月28日の記事より転載させていただきました。