黒坂岳央です。

自分は日常的に、人から仕事や人生相談を受けることがある。相手に対して「こうすればいいのでは?」と提案したら「それについては知識(もしくは経験)がないからどうやっていいか分からない」と返されることがかなり多い。

自分からすると「いや、分からないからこそこれまで気づかなかったチャンスがあり、率先してやってみるべきなのでは?」という意見を持っている。これは「分からないからやらない」という選択をする人の思考とは真逆である。そしてできれば分からない時こそ、止まらずに逆に進むべきだと思っている。持論を取り上げたい。

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結局、彼らは面倒くさいだけ

「わからないからできない、やれない」と返す人が期待してる答えは多くの場合、「手軽にインスタントに解決できる方法」である。

人間には学習能力があるので、本来は分からなくても学べば良いだけだ。昨今、記事でも動画でもAIでも手順はいくらでも知る方法はある。それにも関わらず、知識不足を理由にやらないのは「分からない」をもっともらしい免罪符にしているだけである。

すなわち、「面倒くさいからやりたくない」というのはカッコ悪いので「やったことがないのでできないのは仕方がないよね。学んだことがないのだから自分のせいではないよね」と言っているのだ。知識不足が理由でできないはずだが、彼らは食べる歩きとか旅行など自分がやりたいことなら未知の店舗や観光先を調べて充実させようとする。つまり、えり好みしているだけだ。

そして彼らは一体、何に面倒くさがっているかというと、それは頭を使うことに対してだ。世の中には頭を使うこと自体を楽しいと感じる人と、面倒に感じる人がいる。人間は本能的に新しいこと、不確定性の強い対象を嫌うのでわざわざ学んでまでやりたいとは思わないのだ。

誤解のないようにいっておくと、自分はとりわけ他罰的な考えを持っているわけではない。人の生き方はそれぞれ、選択は個々人の自由にすればいいと思う。自分もアドバイスを求められたら率直に意見を出すが、相手がどう行動するかまでは追求しない。自分の役割は問われた意見を出すこと、相手の役割はそのアドバイスを受けて決断することである。