「重いうつ状態」の親からはストレスに弱い子どもが産まれる
慢性社会的敗北ストレス状態という「経験」を与え終えると、次に研究者たちはしばらくマウスたちを観察し、
①ストレスからの回復力が強いグループ(軽いうつ状態)
②ストレスからの回復力が弱いグループ(重いうつ状態)
に分類しました。
そして双方のグループに子孫を作らせ、生まれてきた子マウスのストレス耐性を調査。
結果、ストレスからの回復力が弱い父親から生まれた子マウスほど、社会関係におけるストレス耐性が弱いことが判明します。
ですがこの段階では環境要因が完璧には排除できません。
あるいは、弱い親から弱い子が生まれただけとも解釈可能です。
「経験」の遺伝を証明するには、遺伝子レベルでの変化を示す、より直接的な証拠が必要です。
そこで研究者たちは双方のグループのマウスから精子を採取し、遺伝解析を行いました。
すると、衝撃の事実が判明します。
1460個もの遺伝子の活性が変化していた
哺乳類であるマウスは人間と同じく、精子が卵子に受精することにより子どもが産まれます。
そのため親の「経験」が遺伝するならば、その情報もまた、精子や卵子に反映されていなければなりません。
そこで研究者たちは、慢性社会的敗北ストレス状態に陥ったマウスたちの精子に含まれるRNA(長鎖ノンコーディングRNA)の配列を調べました。
結果、ストレスからの回復力が弱いマウスでは1460個もの遺伝子の転写パターンが変化していたことが判明します。
一方でストレスからの回復力が強かったマウスでは、遺伝子の転写パターンの変化は62個に抑えられていました(ストレスを受けていないマウスの精子は0個)。
長鎖ノンコーディングRNAは、遺伝子の活性度を制御する遺伝子の一種として知られており、これが精子に乗って受精卵に届けられた場合、子マウスの体全体の遺伝子活性が大きく影響されることになります。
以上の結果から研究者たちは、親マウスの受けたストレスはRNAに刻まれ、精子に乗って子マウスに遺伝すると結論しました。
人間のうつ病も親の「経験」が原因かもしれない
今回の研究により哺乳類でも、親の「経験」が子に遺伝することが示されました。
重度の「うつ状態」に陥った父マウスたちは、生命の設計図であるDNAを変化させなくとも、遺伝子の活性度を変化させることで、自分の経験を次世代に遺伝させていたようです。
経験が遺伝されたことにより、子マウスはストレスに対して弱く過敏になってしまいましたが、これは危険を回避しようとする強い動機を子マウスに授けることにもつながります。
つまり生存率の増加につながる親からの贈り物というわけです。
研究者たちは今回の結果を、気分障害など人間のストレス反応の理解に応用できると考えています。
これまで精神疾患については、家族の病歴などを調べることがあっても、親の「経験」については全く触れられていませんでした。
しかし今回の研究により親の「経験」という新たな原因が示されたことで、全く新概念の治療薬の開発につながると期待されます。
もしかしたら未来のメンタルクリニックでは初診時に自分の経験に加えて、親の「経験」を記入する欄があるかもしれません。
※この記事は2021年6月公開のものを再掲載したものです。
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参考文献
Mice Fathers Pass Down Stress Responses to Offspring via Sperm
https://neurosciencenews.com/epigenetics-mice-stress-18569/
元論文
Sperm transcriptional state associated with paternal transmission of stress phenotypes
https://doi.org/10.1523/JNEUROSCI.3192-20.2021
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
やまがしゅんいち: 高等学校での理科教員を経て、現職に就く。ナゾロジーにて「身近な科学」をテーマにディレクションを行っています。アニメ・ゲームなどのインドア系と、登山・サイクリングなどのアウトドア系の趣味を両方嗜むお天気屋。乗り物やワクワクするガジェットも大好き。専門は化学。将来の夢はマッドサイエンティスト……?