※本記事は2021年の再掲です。
――数々の伝説的芸能人と交流し、知られざる姿を目撃してきたカメラマン「YAHIMONときはる」が今明かす真実!
1984年11月5日、カメラマンの筆者は当時の人気番組「夜のヒットスタジオ」で通訳を務めていたパトリック・ノパクン氏を通して番組の写真撮影を依頼され、新宿・河田町にあったフジテレビ旧本社ビルへと出向いた。
しかし、最寄りの曙橋駅の出口からフジテレビまで歩きはじめた途端、筆者を予期せぬ事態が襲った。当時まだ24歳だった筆者の全身が突然、金縛り状態になり、辛うじて電柱に寄りかかった状態で20分ほど動けなかったのだ。元来霊感の強かった筆者ではあるが、こんなことは初めてである。しかしそれが、その後に起こる不思議な出来事を示唆していたのだ。
■ケニー・ロギンスに背中を擦られた瞬間の奇跡
なんとか金縛りは収まり、息も絶え絶えフジテレビに到着すると、筆者はすぐにパトリック氏に金縛りのことを話した。すると、パトリック氏は急に真顔になって
「曙橋の一帯には、明治8年から昭和12年まで市ヶ谷監獄という巨大刑務所があり、290人が処刑された場所だからね」
と言う。やはり何か悪い存在が…… そんな嫌な予感を抱えたまま仕事に取り掛かった。
その日「夜のヒットスタジオ」の海外ゲスト歌手は、映画『フットルース』の同名主題歌が全米1位を獲得したケニー・ロギンス(当時36才)だった。見学に来ていた子供たちにも優しく、筆者にも笑顔で接して下さったケニーに、この日救われる事になろうとは、この時はまだ予想さえできない筆者であった。
当時、外国人歌手はメインの広いスタジオとは異なる小さめのスタジオでリハーサルを行っていた。早速、リハーサルの写真を撮影しようとした筆者だが、カメラを構えようとした瞬間、再び筆者の身体を金縛りが襲った。一眼レフを手にしたまま硬直している筆者の異変にいち早く気づいたのは、ケニー・ロギンスだった。
音会わせが中断すると、すぐにケニーは筆者の方に向かってきて、心配そうに筆者の背中を優しく3回擦ってくださった。すると、なんということだろう。その途端に金縛りが解け、動けるようになったのだ。筆者の姿を見ると、ケニーは何事もなかったかのようにリハーサルに戻った。
そしてリハーサルは再開したが、その時に撮影した写真を見ていただきたい。霊感の強い人ならすぐに感じることだろう。
何かに憑依されていた筆者を救ってくれたケニーには、あきらかに人を護る霊力が具わっており、そのことを示す凄まじいオーラを写真を通してもご理解いただけるはずだ。
だが、まだ別の恐怖が迫っていることに気づいていなかった。