■日記に記された最後のメッセージ
彼は無駄死にをしたのか?
最後の“上陸作戦”の際、チャウは漁師たちに自分の日記を手渡していた。これから自分の身に起こることを予期し、愛する家族と後世に向けて最後のメッセージを遺したということになるのだろうか。そして日記の最後には何が記されていたのか。彼の最後の言葉は次の通りだ。
「島にイエスの王国を確立するための行いをしています。私が殺されても原住民のせいにしないでください」
明らかに自分の死を予期していたことになる。
「皆さんは、私がこのすべてにおいて気が狂っていると思うかもしれませんが、私はこれらの人々にイエスを教える価値があると思います。私が殺されても、彼らや神に対して怒らないでください。…(中略)…これは無意味なことではありません」
自分は決して無駄死にをするわけではないと説明していることになる。そしてやはり死を覚悟していたことにもなる。
そして彼の訴えは功を奏した。当時の声明でチャウの家族は次のように述べている。
「彼は神を愛し、命を愛し、困っている人々を助け、センチネルの人々への愛だけを持っていました。私たちは彼の死に責任があるとされる人々を許します。また、アンダマン諸島にいた彼の友人たちの釈放も求めます」
アンダマン諸島の先住民族の暮らしぶりを体験取材した著書『The Land of Naked People』の著者であるマダスリー・ムケルジー氏は「彼は自分が殺される可能性が非常に高いことを知っていました」と「National Geographic」にコメントしている。
「彼はキリスト教の殉教者になりたかったし、実際にそうなっている。おそらく彼は気づいていなかったでしょうが、この出来事が一連の展開を引き起こし、部族に実際に害を及ぼすことになるということです」(ムケルジー氏)
孤絶したコミニュティを長く保ってきた部族に文明の手が差し伸べられると、往々にして堕落して伝統が失われコミニュティが崩壊したり、免疫を持たない感染症が蔓延して事実上の絶滅を招いたりするケースがこれまでにも起きている。したがって専門家の間ではそうした部族に強引に接触すべきではないというおおよそのコンセンサスが得られているようだ。
ではこのチャウの試みをどう受け止めればよいのか。もしも“宣教”が部族の壊滅に繋がるとすれば評価は微妙なものにもなる。若くして命を落とした“殉教者”の行為についての議論はまだまだ続きそうだ。
参考:「Daily Star」、「National Geographic」ほか
文=仲田しんじ
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提供元・TOCANA
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