外の世界との交流を拒絶し来訪者を殺害することさえある恐ろしい部族が暮らす島が北センチネル島である。なぜ彼らはそれほどまでに部外者を拒むのか。その理由はかつて島で起きた悲劇にあることが示唆されている。
■センチネル族がかつて直面した滅亡の危機
2018年11月17日、「世界で最も危険な島」である北センチネル島に上陸を試みたアメリカ人宣教師、ジョン・アレン・チャウ氏が島の住民よって殺害され、世界中で大きなニュースとして報じられた。
文明から切り離された北センチネル島の恐ろしい部族が部外者を皆殺しにする“哀しい”理由が明らかになったかもしれない。
チャウ氏は、外界との接触を一切拒否するセンチネル族によって殺された多くの人々のうちの一人に過ぎない。しかし英紙「Experss」によれば最近発掘された文書は、なぜセンチネル族が部外者に対してあれほど敵対的なのかを明らかにしているという。
カナダ生まれの植民地行政官、モーリス・ヴィダル・ポートマン(1860-1935)は、イギリス海軍の命令で1880年に北センチネル島に上陸した。
「この遠征は成功しなかった」と彼は書いた。
「我々(の行動)は、来訪者全員に対する彼らの一般的な恐怖と敵意を増大させただけです」(ポートマン)
アンダマン島流刑地の監督だったポートマンは、センチネル族の大人2人と子供4人を誘拐し、南アンダマン島の首都ポートブレアに連行した。
何千年もの間、ほかの集団から隔離されて暮らしてきたセンチネル族は、多くの一般的な病気に対する免疫を持っていないため、ポートブレアに連れて来られるとすぐに感染症を発症してしまった。大人たちは死亡したが、病気から回復したように見えた子供たちは島に送り返された。しかしこの子供たちが島に持ち込んだウイルスが部族民の間で壊滅的なパンデミックを引き起こしたのである。
部族の命運を揺るがす災禍をもたらしたポートマンなのだが、研究熱心であった彼は周辺の島民を観察して詳しく書き留め、写真も多く撮影した。しかし写真の多くは本質的に不適切なまでに性的なもので、特に北センチネル島を含む周辺の島々の男性のペニスの写真を多く撮影していたのだ。