■南アフリカを震撼させたモーゼ
最初の殺人は1994年、アッテリッジヴィル(Atteridgeville)という街で発生し、その後、ボックスバーグ(Boksburg)、クリーブランド(Cleveland)と死体を遺棄する現場が変わっていった。このことから、一連の殺人死体遺棄事件の犯人は、街の名前の頭文字をとって「ABC殺人鬼」と呼ばれ、大きく報道された。
事件の被害者は一様に、自らの下着で首を絞められ絞殺されていた。犯人のモーゼは、決まって死体へ「BITCH(クソ女)」と書き残してから捨てた。ここまで女性に対して激しい恨みを持つのは、自分を捨てて逃げた母親への、失望と怒りが幼いころに深く刻み込まれたからだ。
当時、南アフリカの大統領だったネルソン・マンデラは、この連続殺人に動揺する人たちを励ますため、ボックスバーグの街を訪れた。それほどに、モーゼの一連の犯行は、大きな注目を集めていたのだ。
1995年8月、事件を調べていた捜査官たちは、被害者の傾向などから、モーゼが犯人ではないかと、疑いの目を向けていた。だが、自分が疑われていると察知したモーゼは、すぐに行方をくらませてしまう。
1995年10月、逃避行を続けていたモーゼは、大胆な行動に出る。南アフリカの著名ジャーナリスト、タムセン・デ・ビーアに自ら電話をかけ、接触を図ったのだ。そして、自分は、今、巷を騒がせている殺人犯だと名乗った。
モーゼは、一連の連続殺人について10代の頃に自分を7年間も刑務所へ閉じ込めた司法への復讐であり、責められるべきなのは自分ではなく国家なのだと、あまりにも無責任な言い訳を語った。そして、自分が真犯人である証拠として、まだ警察が発見していない死体の在り処を、ビーアへ告げた。
地元当局は逃げたモーゼの行方を追い、遂に、ヨハネスブルグへ潜伏している事実をつかむ。警官に囲まれ追い詰められたモーゼは、近くにあったナタで襲いかかり抵抗を試みたが、ピストルで応戦した警官に3発打たれ、瀕死の状態で逮捕された。病院で一命を取り留めたモーゼだったが、HIVに感染していたことも明らかになった。