ところが、21世紀に入り、罪が何か、その起源はどこにあるか、なぜ人は罪を犯すのか、等々の真剣な再考プロセスはなく、人は安易に相手を憎む。そして一旦憎みだすと、その憎しみの感情から飛び出すことができなくなる。憎悪の虜になるのだ。
当方は2014年5月、ヨルダンの首都アンマンで開催された国際会議の場で一人のパレスチナ人医師、イゼルディン・アブエライシュ氏と会見したことがある。同氏は穏やかな紳士といった雰囲気はするが、同氏が語ってくれた話はそんなものではなかった。2009年1月16日、イスラエル軍のガザ攻撃中、砲弾を受け、3人の娘さんと姪を失ったのだ。亡くなった娘さんの姿を目撃した時、「直視できなかった」と述懐している。しかし、同氏の口からは“イスラエル軍憎し”といった言葉は飛び出してこなかった(同氏との会見記事を2本のコラム、「憎しみは自ら滅ぼす病だ」(2014年5月14日)と「『憎まない生き方』は現代の福音」(2014年5月20日)にまとめた)。
アブエライシュ氏は日本語でも出版されている著書『それでも、私は憎まない』の中で証しをしている。「私の本のメイン・メッセージは、私たちの人生は私たちの手にあるということだ。自身の人生に責任を持ち、他者を批判したり、憎むべきではないということだ。憎悪は大きな病気だ。それは破壊的な病であり、憎む者の心を破壊し、燃えつくす」と語っている。
パレスチナ人難民キャンプで成長し、エジプトのカイロ大学医学部を卒業後、ロンドン大学、ハーバード大学で産婦人科を習得。その後、パレスチナ人の医師として初めてイスラエルの病院で勤務した体験を有する。
その後、パレスチナ人の友人から「お前はイスラエル人を憎むだろう」といわれたが、「自分は憎むことが出来ない。イスラエルにも多くの友人がいる。誰を憎めばいいのか。イスラエルの医者たちは私の娘を救うためにあらゆる治療をしてくれた。憎しみは相手も自分をも破壊するがん細胞のようなものだ」と答えてきた。その一方、亡くなった3人の娘さんの願いを継いで、学業に励む中東女生たちを支援する奨学金基金「Daughters for life Foundatoin」を創設し、多くの学生たちを応援してきた。
憎しみを止揚し、建設的なエネルギーに転換させることは容易ではない。誰もがアブエライシュ氏のようにはなれないが、憎悪という感情を克服できると信じたい。「罪を憎み、人を憎まず」という言葉をもう一度思い出したい。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年6月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。