私の友人のためにあるビジネスの仲介をして約半年にわたり交渉を重ねていたのですが、先方から箸にも棒にも掛からぬ唖然とするオファーをもらいました。それを受けてその友人と長々と相談したのですが、結論からするとオファーに誠意がない、よってカウンターオファーする気すら失せるので全く違う切り口でゼロから検討し直しになりました。

ビジネスのディールは双方興味を引き、可能性があるから交渉するのであり、相手が巨大な企業で経営方針や監督官庁からの許可の問題云々で不成立という場合はともかく、双方が小さい規模で社長同士の交渉ならそれなりの時間をかけて説明してきているのである程度は寄ってくるものです。事実、交渉中もいけるかな、という感触だったのになぜ、突き放すようなオファーを入れてきたのか、真意を疑いますが、再交渉する気も起きないので「さようなら」を告げるしかありません。ビジネスは10の案件で1つ成功するかどうかですが、その精度を高めるのが私の役目だったのに至極残念な結果でした。

双方が寄らない交渉はしばしばあります。最近メディアで目にするのは政治がらみが多いと思います。例を挙げると「ウクライナ、ロシアの双方のスタンス」「ガザ即時停戦合意案」「アメリカ、フランス、英国の国内分裂」「岸田首相を取り巻く環境」…。なぜ寄らないのか考えてみると、どのケースでも双方、ないし片方が頑なになっているのです。頑固というより振り上げた手を下せない、そういう方が正しいのかもしれません。

この傾向があらゆるシーンに広がっていくようなら世の中は2つに分断というより細かく寸断されてしまいます。国家としてのまとまり、社会のまとまり、或いは企業としてのまとまりすら失うでしょう。しかし、社会は明らかにその過激な世界に一歩一歩近づいているように感じるのです。

何故でしょうか?私の直感の一つは人間の脳内までデジタル化したのではないかという気がするのです。デジタル、つまり0と1という明白な敷居を積み上げていく考え方がコンピューターのみならず、人間の思想に波及したのではないかと推察しています。

私が初めてアメリカに行った1981年頃、今でもよく覚えているのですが、YES、NOをはっきり言う癖をつけよと教えられました。「お昼ごはん、何を食べようか?」と言われればハンバーガー、ピザ、ホットドッグ…と明白に意見しなくてはいけないわけです。それまでは「なんでもいい」という返事をよくしていたと思います。それではダメ、きちんと意見を言うことを学びました。